日月神示の系譜 探求 (R5.12.13)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日のお題は「日月神示の系譜」を探求していきたいと思いますが、この探求は長くなると思います。もっと早くに手掛けたかった内容なのですが、色々な事情や投稿者:加藤の考え方が邪魔をして遅くなりました。しかし、あまり先延ばしにする事も出来ないと判断しましたので、事情や投稿者:加藤の考え方を、先ずは脇に置き、ボチボチと書いて行く事にしました。かなり複数回の探求になると思いますが、宜敷く御願い致します。
さて、日本国内 (日本以外にも、日月神示の足跡と思われる書などが存在する) では、江戸時代の末期まで話は遡ります。江戸時代とは、西暦で1603年〜1868年です。その末期の1814年 (文化十一年) に岡山在住の黒住宗忠が、天命直受 (てんめいじきじゅ) という神人合一の体験をした事で、黒住教が発生し、後の1838年 (天保九年) 奈良で裕福だった農家の主婦、中山みきが、突然の神懸かりになり、天理教が発生する事につながり、それに続いて、また岡山在住のごくごく普通の農民だった、川手文治郎が、1859年 (安政六年) 立教神伝と呼ばれる神勅を受けて、金光教が発生します。そして、1892年 (明治廿五年) 丹波の綾部で極貧生活を送っていた出口なおが、突然に激しい神懸かりとなる事になります。出口なおに懸かった「艮の金神」という神は、出口なおの口を使って次の宣言します。「天理・金光・黒住・妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現われて、世の立て替えを致すぞよ」これの意味は、大本よりも先に発生した宗教団体は、後に出口なおが大本の開祖にいたる迄の、準備段階的な宗教団体だったと思われます。日月神示にも、これらの団体名が出てくる事がありますので、流れだけは掴んで置いて下さい。
さて、日月神示と一番密接に関係して来るのが、大本となるのですが、日月神示が気になっている皆さまは、当然知っていると思われる、岡本天明も大本とは深いつながりが存在しているのですが、今回の探求では触れません。今回の探求は、大本が興る (開教) 迄の経緯に絞って探求して行く事になります。出口なおが帰神 (神懸かり) した明治廿五年に開教して以降、読み書きの出来なかったナオが筆をとり、自動書記により「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ」との書き出しで始まる、艮の金神の言葉を取り次いで行く事になります。これが後の大本で「お筆先」とか「大本神諭 (おおもとしんゆ) と呼ばれる物になり、この天啓は半紙二十枚を一巻として、計一万巻にも及びます。
その後に、出口なおは、出口王仁三朗 (本名:上田喜三朗、後の大本教祖) と出会う迄の話をしなければならないですが、この段は次回以降の探求としたいと思います。今回の探求のお題では、先ず日月神示が世に出るにあたり、江戸時代末期から準備が始まっていた事を知って置いてもらいたいと思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。