第八巻 磐戸の巻 第六帖 (R5.12.12)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第八巻 磐戸の巻 第六帖です。短い文章ですが、難解だと思います。意味などは後で解説しますので、読んで見て下さい。
第八巻 磐戸の巻
第六帖 (二四二)
北、南、たから出す時近づいたぞ、世の元 (もと) からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、何事も神の申すこと聞いてすなほになるのが一等ざぞ、神示 (ふで) 出ぬ時近ふなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う腹 (はら) に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、西も東もみな宝あるぞ、北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、此宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。一月四日、⦿のひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 200頁 より)
如何でしょうか、難解な文章だと思います。投稿者:加藤も「磐戸の巻」の中ではギリギリ後回しにしていた帖の一ッです。何故に難解かと言うと、日月神示だけでは解らない事が書いてあるからです。過去の投稿で「日月神示の系譜」として、別カテゴリーの「探求小屋」で、日月神示が、どの様な経緯を経て世に出て来たかを書くと予告をしていました。予定では、明日の投稿からボチボチと「日月神示の系譜」を綴って行こうと思ってますが、そちらの投稿も見ながら、皆さまの中で気付きがあれば、今回の投稿に戻って来て下さい。今回の投稿内容だけでは、理解が難しいと思います。
「北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ」と書かれています。この帖を読んで、一番理解が出来ない部分だと思います。詳しい話は「日月神示の系譜」で取り上げますが、この「潮満 (しおみつ) 」と「潮干 (しおひる) 」とは、大本 (大本教と言う人も居ますが、教えの字は入りません) の出口王仁三朗の書いた「霊界物語」に出てくる「潮満玉 (しおみつたま) 」と「潮干玉 (しおひるたま) 」の事だと連想出来ます。従って、日月神示がどの様な経緯で世に出て来たのか、そしてその経緯の足跡をツブサに拾い集めて行かないと、解釈出来ない部分が発生する事になるのが、日月神示だと投稿者:加藤は思います。しかし、皆さまに「日月神示 研究家」になりなさいとか「神道 研究家」や「古神道 研究家」になりなさいと言っている訳ではありません。それでは、当ブログ「眞八紘一宇」や投稿者:加藤の存在意義が無くなります。出来るだけ解りやすく、当ブログで解説して行く事に勤めますが、日月神示は八通りに読めると言われますので、皆さまには、投稿者:加藤の一解釈だと言う事だけは理解して置いて下さい。
「北、南、たから出す時近づいたぞ」とは、北南は満潮と干潮の事ではないかと判りました。水です。「東西の宝も今にわかりてくるぞ」とは、日月神示で言われる「富士動くまで」(多分噴火) と云う内容を考える事が出来ると思います。火です。水と火だと解釈すれば、ピタリと腑に落ちます。「たから」とは色々な意味を含んでいると思います。「この世の大洗濯の宝であるぞ」とも書かれています。大峠の仕組みも宝であるし、身魂磨きが出来ている臣民も神の宝だと伝えていると投稿者:加藤は思います。
余談ですが、あまり報道されていませんが、地球規模で今 (令和五年後半) 、恐ろしいい水害が世界中で多発しています。また、自然水害ではありませんが、イスラエルは、ハマス (パレスチナ) 地区の地下施設を水責めにしています。やはり、今現在が大峠の最中と思った方が良いのかと、投稿者:加藤は最近考えます。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。