第八巻 磐戸の巻 第九帖 (R5.11.7)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示の第八巻 磐戸の巻 第九帖となります。少々難解かと思いますが、言葉が古めかしいので、そう感じるだけだと思います。内容的には難しい物ではありませんので、先ずは読んで下さい。
第八巻 磐戸の巻
第九帖
富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民改心して居らぬと気毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女 (みこ) や祢宜 (ねぎ) にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。かみががりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ、命 (いのち) あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るのざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。一月十一日、⦿のひつ九⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 203頁 より)
如何でしょうか、少々理解出来ない言葉があると思いますので、説明をします。「巫女 (みこ) 」これは皆さまご存知ですよね。だだ最近では、しっかりと教育を受けた巫女は殆どいないようで、大きな神社の社務所などでは、女学生がアルバイトで巫女をしている現状です。マァ事情は解るけど問題アリですよね。次に「弥宜 (ねぎ) 」ですが、神職の人を指す言葉です。ただし、宮司や神主などよりも位の低い神職の人を弥宜と云うそうです。
「この道は中行く道と申してあろがな」と書かれています。日月神示では、良く仏教的な教えと云うか、考え方が出て (キリスト教的な事も) きます。この一文も投稿者:加藤は仏教で言う所の、「中道を行け」と云う意味だと思います。マァ簡単に言うと、やり過ぎは駄目、やらな過ぎも駄目って意味です。
「米あると申して油断するでないぞ」この一文は気になります。「米」とは本当に稲から取れる米なのか、米国の事を指しているのか、投稿者:加藤は両方だと思っています。今、世界は大変な問題を抱えています。時事的な話題は避けたいのですが、我々日本人に直接関係して来る事が日に日に避けられない状況として迫って来ているので、一寸だけふれます、戦争の問題です。皆さまご存知の様に、食料が無くなりつつあります米も手に入らなくなるかも知れません。それも問題ですが、米国です。ロシアには核爆弾をチラつかせられ、アラブ人諸国にも核爆弾をチラつかせられ、米国の反応は黙り込むだけ。今まで「核の傘」と云われていた保証が「全て嘘」だった事がバレつつあります。投稿者:加藤は、当ブログで、強い言い方では無いですが、米国を信用してはいけないと言って来ました。彼らは同盟国だからと言って、他国を助ける気など微塵も持っていません。覚えて置いて損は無いと思います。イヤ、そんな事は無いと、米国を信用している人は、投稿者:加藤のこの言葉を心の隅にチョコット置いておいて下さい。それだけで良いです。
「辰の年はよき年となりてゐるのざぞ」と書いてあります。國之常立尊が「よき年」と言っているのを、満額で受け止める事には注意が必要です。國之常立尊にとって「よき年」であって、我々臣民にとって「よき年」かは判りません。この言葉の後に「早う洗濯してくれよ」とも書いてあります。國之常立尊は、大峠と大洗濯で、三千世界を建て直す計画です。令和六年の来年は辰年です。いよいよ始まるのかも知れません。今、世界中で起こっている争いは、単なるプロローグとしてしか、投稿者:加藤の目には写りません。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。