五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十六帖 (R8.8.17)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十六帖です。お読み下さい。
五十黙示録 第五巻
極め之巻 第十六帖
頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ。高くとまっているから流れて来んのぢや、神のめぐみは水のように淡々として低くきに流れて来るぞ、自分が自分にだまされんように心して下されよ、善悪をきめて苦しんで御座るぞ。世界の片端、浜辺からいよいよが起って来たぞ、夜明け近づいたぞ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 819頁ー820頁 より)
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価格:8800円 |
いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解していただきたいと思います。が、今回の帖、少々説明を書かせてもらいます。
本帖の鍵は三ッとなります、しかし全部を理解するには、日月神示の補巻を含む全体を読まなければ見えてこない帖だと投稿者:加藤は思います。特に日月神示 補巻 月光の巻の内容が重要となってくると思うのですが、当ブログでは、まだまだ先の投稿の話になってしまいますので、現時点迄で投稿した日月神示の内容で、判る所迄の鍵となる部分を一寸だけ説明します。
一ッ目:神理を理解するには「謙虚」にならなければならない
この内容は「月光の巻 第五十四帖」に詳しく降ろされているのですが、一般論としても、よく例に出される言葉で説明されています。「水は高い所から、低い方へ流れる」という話です。
二ッ目:無自覚のうちに、自分が自分に騙される
これは、言葉が変わっているだけで、「本来ならば霊主体従でなければならないのですが、自分が自分に騙され、体主霊従になっているという日月神示では耳にタコが出来るほど (それだけ重要な話なのですが) の話です。
三ッ目:世界の片端浜辺 (かたはしはまべ) で何が起こるのか?
これも「月光の巻 第五十四帖」でも降ろされている内容ですが、日月神示 第八巻 磐戸の巻 第十三帖にも降ろされているので、もう一度一部分を引用しておきます。
日月神示 第八巻 磐戸の巻 第十三帖 一部分
「世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治らんから今迄の法度 (はつと) からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ」と降ろされています。では「世界の片端浜辺」とは何処なのか?投稿者:加藤の出した結論は「神の国、日本」です。世界の片端、言葉を変えるなら「世界の外れ」で、亜細亜大陸の外れ、東方の海上にある日本としか考えられないと思います。「浜辺」という言葉も、国土全体が浜辺である日本と完全に一致します。「夜明け近づいたぞ」と書かれていますので、片端浜辺 (日本) から、いよいよ夜明けがはじまると解釈出来ると思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。