身魂「身」探求 (R5.10.25)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回は般若心経の、多分最終回の予定でした。楽しみにしていた方も居られると思いますが、前回 (R5.10.18) の内容でも書きましたが、さほど内容が充実している所でも無いので、少々後回しにさせて下さい。今回の探求は、般若心経のタイトルのままで投稿をしても良かったのですが、仏教とは切り離したかったので、新しいタイトルを付けました。
今回のお題は、投稿者:加藤が当ブログで、良く出す話題で、我々人間の「身勝手」な「発想」「発言」「行動」は如何にして起こるのかを探求してみたいと思います。皆さまも、会話の中で「普通さぁ〜」とか「常識的にねぇ〜」とか言ってませんか?又は耳にしませんか?そこで質問です。この「普通」とか「常識」とかは、何時、誰が定義したのかを説明出来ますか?そして何時、あなたの中で「普通」とか「常識」になったのかを説明出来ますか?「一般的には…」そんな答えが聞こえて来そうです。「一般的」って「普通」とか「常識」と云う単語を違う単語にすり替えただけの単語だと思いますよ。我々が社会生活をしていくためには、その社会の決まり事をまもる必要はありますが、その決まり事が「普通」とか「常識」とか「一般的」だと、一方的 (強引) に考えていませんか?その様に他者から押し付けられた考え方が「常識」だと思い込めば、自分で考えなくて良いので、楽な部分は多々あるでしょう、しかし投稿者:加藤はこの考え方は良く無いと考えます。
一ッの例ですが現在、「常識」となっている、運動会の赤と白の垂れ幕や、葬儀で使用される黒と白の垂れ幕、この色の本当の意味を調べた事がありますか?ここでは詳しく述べませんが、この色によって、我々が受ける印象は、我々の意識までもコントロールする事になります。どう云う意味かと言うと、葬儀の黒と白を見ると、気持ちが沈みがちになりませんか?本来の黒と白は鯨のイメージで、海面に飛び出しながら泳ぐ鯨が楽しそうに見えた事から葬儀の色とされました。悲しいのでは無く、楽しそうとの意味から来た色なのです。神道的に考えて、人の死は魂が肉体 (身) から解放されて、魂が帰幽する事です。見方を変えれば、魂が今回の務めを全て終え、肉体 (身) を脱ぎ捨てて本来の居場所に帰るだけなのです。魂にとっては、次の務めまでの間、全てから解放されて、家路を急いでいる状態なのです。悲しいどころか、楽しくてしょうがない事でしょう。そう考えると、「常識」が如何に非常識なのかが解ります。
話を「一般的な常識」に戻しましょう。我々は人間として生まれた時から、両親、親戚、自分の居住地近くにいるお爺さん、お婆さん、おじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん。そして学校と云う集団生活の中の、先生、友達、等々から、色々と学んで育ちます。その中で、「普通」「常識」「一般的」と云う「厄介な思考」を植え付けられます。そして自分の魂は自分の身によって、封印された前世の記憶を思い出す事が出来ないでいます。そして、人間は魂が封印されている事を知っている人々が、我々人間社会の中に存在しているのです。昨日の投稿 (R5.10.24) にも書きました「外国の悪の三大将」などがそれに当たります。彼らは長い時間をかけて、我々に本来ならば非常識である事を、「常識」と認識させて行く様に、我々を騙しに来ます。
もう一ッ例を出しましょう。我々が普段「当たり前」に使用している金銭ですが、この金銭を牛耳っているのは誰でしょうか?その団体に、我々は逆らえますか?彼らは、我々から金銭を取り上げる事も簡単に行えます。方法は沢山あるでしょう。「そんな事はあり得ない」と聞こえて来そうです。でもそれは、皆さまが「常識」的に「そんな事はあり得ない」と思っている発言ですよね。その「常識」は本当に大丈夫でしょうか。
話は一寸だけ変わりますが、今現在、東京駅から大阪駅の片道が、新幹線を使用すると二時間三十分以内で動けます。これって「通常」運転ですよね、しかし投稿者:加藤からしてみると「異常事態」です。世界中のサイキッカーが「今の時代は時間が早く進み過ぎている」と言ってます。投稿者:加藤は、日本人は元来スローライフが上手な民族だと思っています。理由はここで書くと長文になりすぎるので避けますが、我々日本人が未だ和服を着ていた時代を思い起こしてみて下さい。その時代は、近所の人々も今よりはマトモ (他人を思いやる余裕があった) な人が多かったのではないかと、投稿者:加藤は思います。「外国の悪の三大将」は本当に時間をかけて、少しづつ我々の意識を変えに来ます。皆さまも時々で良いので、今の自分の考え方、今の自分の希望や夢、そして、今の自分の目的等々を、見直す時間を持つ様にする事をお勧めします。マァ、最終的には身魂磨きが大事と云う話になっちゃうと思うんですけどね。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。