般若心経 探求 (R5.10.18)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回からの探究は「般若心経」の意味 (訳) を探求して行きたいと思います。前回の投稿 (R5.10.11) で説明した通り、般若心経は四ッの文章構成ですので、一ッ目と二ッ目を今回の投稿で探求し、三ッ目と四ッ目を次回の投稿で探求して行きたいと思います。
般若心経の内容を探求する前に、日本の各仏教宗派による、般若心経の扱いを説明して置きます。般若心経は、浄土宗、真言宗、天台宗、禅宗を中心として、多くの仏教宗派で読まれていますが、浄土真宗や日蓮宗などの宗派では、基本的に般若心経を読ま無いという宗派もあります。
では一ッ目の項目「観音菩薩が舎利子 (釈迦の弟子) に教えを説く前振り」から行きましょう。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
観音菩薩が悟りを求めて深く修行をしたら、五蘊 (この世を構成する全ての事) は空であると悟ったと云う意味です。
次に二ッ目の項目「観音菩薩が舎利子に呼び掛ける形で「空」の思想を説く」に行きましょう。
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
舎利子よ、この世のあらゆるもの (色) には実体がない (空) 。それは人の肉体や感覚でも同じことである。
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
舎利子よ、実体がないのだから、生まれもしないし、消えることもない。汚れることもないし、清らかでもない。増えることも、減ることもない。
さて、今回から「般若心経」の解説に突入していますが、般若心経は知らなくても「色即是空」と云う言葉は知っている、という人は多いと思います。何故でしょう。答えは簡単で、色即是空の意味が理解出来たら、般若心経を理解したと同じだから、有名な言葉になったのです。「色即是空」「空即是色」をもう少し説明すると、人間が身 (五感や脳で認識する物、脳による空想や想像を含む) で感じているもの (色) は、全て実態がない (空) ですよ。実態がない (空) が、人間が身で感じている (色) ですよ。という事です。次回の投稿予定である三ッ目の文章は、この「色即是空」「空即是色」をウダウダ、ダラダラと説明する文章で、四ッ目の「マントラ」(呪文) に突入します。前回投稿 (R5.10.11) でも書きましたが、マントラは日本語で説明するのが難しい文章では有りますが、投稿者:加藤が頑張ってみます。
般若心経は仏教の法典ですので、本当に大切な部分 (仏教の悪口では有りません、仏教とはそう云う宗教なのです。「探求小屋」でいつか取り上げる予定ですが、大乗仏教と小乗仏教が存在する様に、少々厄介な宗教なのです) が抜け落ちています。それは「魂」の部分です。人間の五感で感じるものは全て無であると、般若心経では説いていますが、これでは人間自体が無となってしまいます。ここで大事になるのが「第六感」です。人間の身で感じる部分では無く、魂で感じ、魂の考えに従う。これが大事なのですが、これが難しい。何故ならば、身である物体が、全て「空」であると認識出来なければ、なかなか魂との対話が出来無いで、身のエゴが前に出てくるからです。そう考えると、般若心経もなかなかにして、良い入門書なのかも知れません。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。