般若心経 探求 (R5.10.4)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回の探究は「般若心経」になります。エッ仏教?と思うかも知れませんが、有名な経典 (お経) ですので、知って置いて損にはならないと思いますので取上げてみました。経緯は、投稿者:加藤がネットカフェにてダラダラとソフトクリームを喰いながらネット上を徘徊していて、見つけたページを、メモ紙で書き写した事が発端で、後になり、当ブログで取り上げて見ようかと思いつき、そのページを探したのですが見つけられませんでした。本来ならば皆さまにURLを知らせるべきなのですが出来ません、ついでに云うと、手書きの走書きメモを元にしているので、内容も元のページのものとは若干違うかも知れませんが、面白い日本語訳だったので、皆さまにも紹介します。
「般若心経」の本来の訳に近い物は、次回の「探求小屋」への投稿でアップさせてもらいますので、併せて読んでもらえると、今回の投稿内容が、より楽しめると思います。ではど~~ぞ。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分かったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非常になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんてしらなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いた呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
如何でしたでしょうか?何ともラップ調な「般若心経」だったと思います。楽しんでいただけましたか?内容的には、それマズイだろって所もあるのですが、元々がサンスクリット語だった経典を漢文に訳して、訳し切れなかった部分は当て字で補うと云った物が、印度から志那を通り、日本に入って来て、それまた日本語に訳すと云う経緯ですので、聖書と同じく完璧に訳すのは不可能ですから、これはこれで良いと投稿者:加藤は思います。
ただ投稿者:加藤は、これはこれで良いと思うのですが『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』の部分、訳した人物はここを強調したかったのだと思いますし、文面からも思い入れがある様に思えます。しかし、この部分がサンスクリット語を強引に漢字に当て字した部分で、原文は「揭諦 揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆呵 (ギャァティ ギャァティ パァラギャァティ パラソウギャァティ ボージソワカ) 」となります。何とも苦しい漢字訳だなぁ〜と、投稿者:加藤には感じます。もし皆さまが興味を感じましたら、自分で色々と調べてみて下さい、般若心経の沼に落ちない程度で御願い致します。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。