第十七巻 二日ん (ジシン) の巻 第九帖 (R8.3.29)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第十七巻 二日ん (ジシン) の巻 第九帖です。本巻は全十九帖からなる巻なのですが、十九帖全てが長い文章です。ですので、解釈ではないのですが、重要と思われる部分の現代語化が、非常に簡略なものとなります。当ブログでは、一ッの投稿を読むのに必要な時間を五分、長くても十分となるように務めています。理由は読み手の方に、考える時間を持ってもらいたいからなのですが、本巻は、読むのに時間がかかると思いますが、頑張って読んでください。では、本文からお読み下さい。

第十七巻 二日ん (ジシン) の巻

第九帖

 霊・力・体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の *記号1 (うごき) をなす。霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。地上人のもつ想念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大歓喜である。故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によりて総ての行為の本とする。故に、地上人そのもののみの行為なるものはない。何れも、神よりの内流による歓喜の現われであることを知らねばならぬ。歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽量の差はない。しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。悪があってもならぬが、悪が動かねばならない。常に、動き栄えゆく、大和の *記号1 を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を • とする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。それが正しき惟神の歓喜である。惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。

* 記号 1 中心から外側へ、時計回りの渦巻。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 418頁−420頁 より)

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 毎度々々の事ですが、今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。

 善悪の働きを、地上人の考え方 (価値観) で決めて考えてはならない。悪とは動きであり、変化である。物事が動き変わる時、抵抗が生まれる。それが地上人が感じる悪である。善だけでは、変化するどころか、動きすら生じない。それでは世は停滞し、進展をしなくなる。なので、上の世界から見れば、悪は世を動かし、変化させる、抵抗勢力となる善だということになる。道理を知り、悪が悪ではないと知り、受け入れることが愛であり、そこに歓喜・弥栄が生まれる。

 こんな感じかなぁ〜

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。