五十黙示録 第三巻 星座之巻 第三帖 (R8.1.28)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第三巻 星座之巻 第三帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第三巻

星座之巻 第三帖

 時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神 (カミ) 、幽身 (ガミ) にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねばこのふでは解らんぞ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 784頁 より)

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 いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解していただきたいと思います。

 さて、本帖を理解するには「時・時間」が「鍵」になりますが、そこで理解の邪魔をするのが、我々が持っている「常識」です。我々が普段「あたりまえ」と思っている「間違え」が邪魔をするのだと、投稿者:加藤は考えています。例が少々悪いですが、飲み屋の店先にぶら下がっている提灯は「赤色」が絶対的に多いと思います。マァ、それによって、遠目から見ても、居酒屋が在りますヨォ〜と、脳が理解するのですが、別に赤色でなければならないことはないのですが、一般的には赤色の提灯が「あたりまえ」であり、我々は疑問を持ちません。それと同じで、我々は時間という概念を「過去」から「現在」そして「未来」へと一方通行で流れる連続軸であることを「あたりまえ」として疑わない (脳が新しい理解を遮断する) のです。本帖の真髄に迫るには、この「あたりまえ」という考え方を「あたりまえ」と考えては駄目だということです。

 「神界には時間がなく」と書かれています「神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ」ということなのですが、本帖の解釈ではなく、スピリチュアル界隈での時間の概念を話すと、時間が無いのではなくて、連続軸では無いという意味で考えられています。「過去」「現在」「未来」は全て「今ここにある」という考え方です。ですので「神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ」という文章を読んだままの日本語で理解しては、真髄から遠ざかりますが、しかし読んだままの日本語で、真髄に迫らなければ、本帖の真髄には近付けないと投稿者:加藤は思います。「過去」「現在」「未来」は全て「今ここにある」のですが、常にそのなかで、連続的な流れがあるということと理解しなければならないと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。