五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十八帖 (R8.1.14)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十八帖になります、お読み下さい。
五十黙示録 第二巻
碧玉之巻 第十八帖
氷と水と水蒸気ぢやと申してあろうがな、同じであって違ふのぞと知らしてあろう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの方則があり、秩序があるのであるぞ、霊界に起ったことが現界にうつると申しても其のままうつるのではないぞ、また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、総てが太神の中での動きであるから、喜びが方則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ (摩邇) の球とも申すのであるぞ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈搏し、進展して止まないのであるぞ。このこと判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 778頁ー779頁 より)
価格:8800円 |
いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。
本帖では、聞き慣れない言葉「フトマニ (太摩邇) 」という言葉が書かれていますので、このフトマニのの意味を説明しておきます。先ず「太」ですが、一般的には「大きな、立派な、神聖な」等々の意味をもつ美称です。神道で祝詞を「太祝詞 (ふとのりと) 」と呼ぶこともあります。本帖で「太神 (ふとがみ) 」という言葉がでてきますが、これも美称で「世の元の大神様」を意味しています。次に「摩邇」ですが、これは「宝石、宝玉」であるとか「如意宝珠 (にょいほうじゅ) 」という意味ですが、本帖では「如意宝珠」が適合すると投稿者:加藤は思います。「如意宝珠」とは、仏教でいうところの、霊験を表す宝の珠のことで、意のままに願いをかなえる宝という言葉です。ですので、フトマニとは「世の元の大神様が、意のままに三千世界を創造する」という意味になると投稿者:加藤は理解しています。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。