五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖 (R7.12.23)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖になります、お読み下さい。

五十黙示録 第二巻

碧玉之巻 第十帖

 岩戸しめの始めはナギ (伊邪那岐命) ナミ (伊邪那美命) の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢや、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が至るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来りなばこの千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞嗚命に総ての罪をきせてネも国に追ひやった時であるぞ、素盞嗚命は天下 (あめがした) を治しめす御役 (おんやく) の神であるぞ。天 (あめ) ヶ下は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積 (つ) もる (と言ふ) ツミ (積) をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命 (みこと) をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル (現生る) 神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞嗚の命 (みこと) にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神であるぞ、間違へてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

* 引用文献に誤字と思われる所がありましたので、修正して投稿しています。誤:神が致るところに 正:神が至るところに。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 772頁ー774頁 より)

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 いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。

 解釈や説明では無いですが、一言。本帖の内容は、日月神示では非常に大切な部分だと投稿者:加藤は思っています。当ブログでは何度か書かせてもらっている内容ですが、五度の岩戸閉めと、素盞嗚命の本当の姿が書かれた帖となります。当ブログをご愛顧くださる皆さまには、文章としては難しい文章ではないと思いますので、よく読んで肚に落としてください。「五度の岩戸閉めと、素盞嗚命の本当の姿」に関しては、過去の投稿を確認してください。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。