五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第九帖 (R7.12.17)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第九帖になります、お読み下さい。
五十黙示録 第二巻
碧玉之巻 第九帖
九分行ったら一休みせよ、始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、一休みして自分の来た道をふり返れよ。この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ、活神がしたのでは堪 (こば) れんものがたくさんに出て来るからぢや、立替、立直し一時に来ているから、われよしの人民には判らんことになるぞ、この世の動きが判らんのはわれよしざからぞ、今度の岩戸びらきは五度の岩戸しめを一度にひらくのであるから、人民には中々に理解出来んことに、折り重ってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 771頁ー772頁 より)
価格:8800円 |
いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。又、本帖の内容は、当ブログをご愛顧くださる皆さまには、さほど難しい内容ではないと投稿者:加藤は感じていますが、本帖に関して、説明というほどのことでは無いですが、少々話をさせていただきます。
本帖で「この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ」と書かれています。この言葉は地上世界の「岩戸開き (立て替え、立て直し) 」の主役は人民だと書かれていると投稿者:加藤は思っています。ですので、人民は岩戸開きという重要な役割が与えられているのですが、我れ善しの性来に堕ちていると「神の仕組が理解できない」と「立替、立直し一時に来ているから、われよしの人民には判らんことになるぞ」という言葉で注意が促されているのだと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。