第十四巻 カゼの巻 第七帖 (R7.12.16)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一四巻 カゼの巻 第七帖です、お読み下さい。

第十四巻 カゼの巻

第七帖 (三五八)

 神にすがり居りたればこそぢゃと云ふとき、眼の前に来てゐるぞ。まだ疑うてゐる臣民人民気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、それぞれに間違ひない様に心配 (く) ばりなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んで居らんと、みるみる変って、人民心ではどうにもならん、見当取れん事になるのざぞ、神示はじめからよく読み直して下されよ、読みかた足らんぞ、天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、偽物の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、我よしの世にしてしまふてゐた事少しは判って来たであろうがな。愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現れなさりて、生通しの荒神様引連れて御活動に移ったのであるから、もうちともまたれん事になったぞ、神示に出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始の神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ、くどい様なれどあまり見せるでないぞ。二月十六日、ひつぐの⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 323頁ー324頁 より)

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 毎度々々の事ですが、今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。

 神にすがるしかない時となるが、その時となっても疑う者は気の毒ぢゃ。偽の神の名をカタリ好き勝手する時代が来ているぞ、終わりの始まりぢゃ。それでもなお神示を疑う者には、もう教えてやらんでよいのだぞ。

 こんな感じッスかね〜。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。