五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第八帖 (R7.12.15)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第八帖になります、お読み下さい。

五十黙示録 第二巻

碧玉之巻 第八帖

 四つ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パット咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、その時では間に合わん、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるでないか。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 771頁 より)

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 いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。と、前置きを毎度々々書いているのですが、本帖は日月神示には珍しく、命令調な書き出しになっています。「四つ足を食ってはならん」と。この四つ足を喰うという行為は、共喰いになるので駄目ですよ、という神示は、日月神示に多く降ろされていますが、本帖のように命令的な言葉は珍しいです。

 本帖が降ろされた昭和三十六年の日本は、戦後の高度経済成長の波により、日本人の食生活が大きく変わっていく入り口だったから、命令調にならざるおえなかったのだと、投稿者:加藤は考えます。元来の日本人は、海洋国家らしく魚を多く食していて、四つ足動物の肉を喰べる習慣はあまりなかったのですが、明治以降に欧米文化が大量に日本に入って来ると、食生活も肉食が多くなって行きます。それが爆発した時期が、戦後の経済復興が進み出したこの時期なので、神示では珍しく「命令調」に「四つ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類であるぞ」と伝えているのです。

 日月神示の内容とは外れますし、内容的にネット上に書いて良い内容なのかも躊躇する内容なのですが… 養殖のハマチは、目が無いのです。時々ですが、養殖場から海に出てしまったハマチが釣れる事がありますが、目が在りません。漁師や釣り人は知っている話なのですが、養殖場から加工されて店に並んだハマチに目が無い事などは、一般の消費者にはわかりません。原因は養殖されているハマチのエサです。実は抗生物質 (アンチバイオティック『antibiotic』) がエサなのです。これは実話なのですが、アトピー性皮膚炎の夫婦がいまして、その夫婦は当然ですが、長年に渡り夫婦共に大量の抗生物質を投与されていました。そしてその夫婦の第一子は目の無い子供が産まれました (クドイですが実話です) 。日月神示的な生活を送っている人で、鳥は四つ足ではないから、鶏肉を喰うことは大丈夫という方がいますが、そのような言い訳はともかく、昔と違って、家の庭で鶏や鶉を放し飼いして、卵を取ったり、時には自分で鳥を絞めて喰うなどは行われていません (法的にも衛生観念的に駄目なのかもですが) 。ですので、今商店に並んでいる鶏肉も養殖の鶏肉です。どのようなエサで育てられているのか疑問です。牛や豚も同じですし、野菜も農協が指定しているサイズでなければ商品にならないと言われれば、農家としては農薬でサイズや形、色までイジクリマクルのです。だだ、これを言い出すと、現代の社会で「人間の食物」は無いです。仕事を辞めて、人里離れた場所で「自給自足」なんて、現代人には出来ませんからね (魅力的ですが… ) 。

 さて、今回の投稿は長くなりましたが、もう一言だけ書かせてもらいます「悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ」と降ろされています。何とも奥歯に何かが引っ掛かっているような言葉ですが、これは人間が「善悪二元論」で物事を捉えていることがダメという意味が隠れていると投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。