五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第五帖 (R7.12.3)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第五帖になります、お読み下さい。

五十黙示録 第二巻

碧玉之巻 第五帖

 七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈からひらきかけるのであるぞ、ひらけると〇と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇 (マニ) の宝珠 (タマ) であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 769頁 より)

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 いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。

 とはいうものの、本帖に書かれている、内容を薀蓄的というか頓知的というか、少々書き止めておきたいと思います。先ず「八の隈からひらきかけるのであるぞ」の中に書かれている「隈」という漢字の意味からみてみたいと思います。

・曲がって入り組んだ所、奥まった所、片隅

・物陰になっている所、暗がり

・色の濃い部分と淡い部分、あるいは、光と陰とが接する部分

・隠していること。心に秘めた考え。秘密

・十分でない部分。欠点

・へんぴな所。片田舎

と、「隈」には多くの意味があります。では「八の隈からひらきかけるのであるぞ」とはどのような意味になるのだろうか?「遠い (社会的に底辺?隈) 所にいる者が開く」的な意味に読めると投稿者:加藤は思います。「ひらけると〇と九と十との三が出てくる」の部分ですが、〇九十を、少々頓知的に読めば「マコト」と読めます。当ブログをご愛顧くださる、皆さまで勘のよい方は気付いたと思います。見た目の悪い人 (今落ちぶれている者、本帖では「隈」の人) が、やがては神の御民とし… という「ふで」を記憶していると思います (日月神示 第六巻 日月の巻 第二帖) 。ですので、地上世界の底辺にいる「因縁の身魂たちが覚醒して」出てくる。と伝えているのでしょう。因みに「八」は「八方世界」=「地上世界」です。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。