五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第四帖 (R7.12.1)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第四帖になります、お読み下さい。
五十黙示録 第二巻
碧玉之巻 第四帖
真の懺悔は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ。先ず御 (おさ) め、次に治 (おさ) め、次に知 (おさ) めねばならんぞ、素盞嗚 (スサナル) の大神は先ず滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下 (あめのした) を知め給うたのであるぞ。素盞嗚の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 768頁ー769頁 より)
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価格:8800円 |
いつものことですが、日月神示の基本十二巻以降の神示 (ふで) に対しては、投稿者:加藤の解釈を避けています。理由はいくつかあるのですが、基本的には、皆さまの解釈を尊重するためになりますので、ご理解ください。という事なのですが、本帖に関しても、説明という内容では無いのですが、少々話をさせていただきます。
本帖では、異なる漢字を「同じ音で読ませています」、「御 (おさ) め」と「治 (おさ) め」と「知 (おさ) め」です。この意味を理解するには、本帖後半の「素盞嗚 (スサナル) の大神は先ず滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下 (あめのした) を知め給うたのであるぞ」の意味を理解しなければならないと投稿者:加藤は思います。更に「素盞嗚の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ」の意味も理解しなければならないのですが、日月神示を読み込んだ人でないと、全く理解出来ないと思います。何故ならば、記紀の内容によれば、素盞嗚大神は三貴神の一柱でありながら、荒ぶる (単なる暴れん坊) として書かれているからです。
「素盞嗚 (スサナル) の大神は先ず滄海原を御め給ひ、更に蒼海之原を治め給ひ、次に天下 (あめのした) を知め給うたのであるぞ」の文中に出てくる、滄海原とは神界を指していると思われ、蒼海之原とは幽界を指していると思われ、最後の天下とは地上世界を指していると思われます。しかし、これだけの内容ではないと投稿者:加藤は思っています。日月神示の基本十二巻以降の解釈を避けている理由も、このようなことなのですが、「御 (おさ) め」と「治 (おさ) め」と「知 (おさ) め」とは「自我をおさめる三段階」とも解釈できるからです。
・ 御 (おさ) める——自我を御 (ぎよ) し、思い通りにコントロールする段階。
・ 治 (おさ) める——自我に対等な立場で、自我の言い分に耳を傾ける段階。
・ 知 (おさ) める——自我の立場を理解し、結局は自分の積上げた「メグリ」であったと霊的覚醒する段階。
このように、日月神示で、抽象的かつ観念論的な文章は、色々な角度から解釈が出来ます。ですので、読み手側の我々も、文章を読み、日本語的に理解して「こうだろう」と納得しないで、他の意味や考え方に対して、常に慎重に読み進める必要があると投稿者:加藤は思います。
素盞嗚大神とは、地上世界をおさめる地上世界のヒーローなのです。ですので、日月神示では素盞嗚大神を非常に大切にしています。当ブログのカテゴリー「探求小屋」で、素盞嗚大神を探求していますので、そちらもお読みください。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。