ひふみ 新世紀 探求 #5 (R&.11.4)

 皆さまご機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、「ひふみ 新世紀 探求」の五回目になります、今回は書籍「ひふみ 新世紀」の「まえがき」的部分の一部目「ひふみ 新世紀」の三回目になります。前回の投稿時にも書きましたが、投稿者:加藤の感想として、この書籍は非常に有益な情報を含んでいると感じますので、是非お手に取って読んでもらいたいと思います。岡本天明著という体で出版されていますが、岡本天明は書籍を手掛けてはいません。ですので、本書籍は、日月神示の凝縮版的な書籍であり、日月神示ではバラバラに降ろされているカテゴリーをまとめたような構成になっている書籍です。では書籍「ひふみ 新世紀」の「まえがき」的部分の一部目「ひふみ 新世紀」三回目を読んでください。

ひふみ新世紀 #3

 天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ、神体や神殿が神ではないぞ。神でもあるぞ。取違ひ禁物。鼻高には困る困る。他の教会は病治して一人でも信者多くつくつて立派に教会をつくればそれでよいやうにしてゐるが、この道はそんな所までまごまごさしてはおかれんぞ。高く光るぞ。遠くから拝むやうになるぞ。一切の未来も一切の過去も、総てが現在ぞ。中今ぞ。このこと判るが善ぢゃ。神は総てを知っているのぞ。現在は永遠ぞ。何処からともなく感じて来るもの尊べよ。神の世と申すものは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変わるざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれそれに先きの分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。天には天の道、地には地の道、人民には人民の道あると申してあろう。同じ道であるが違ふのぞ。地にうつし、人民にうつす時は、地の約束、人民の約束に従ふのぞ。約束は神でも破れんのであるぞ。次元違ふのであるから違つてくるぞ。違ふのが真実であるぞ。それを同じに説いたのが悪の教。同じと思ふのが悪の考え方であるぞ。上から来るものは光となつて流れてくのざ。光に本来影はないのであるが、動くから影が生まれる。それを影でない影と申すぞ。悪ではない悪あると申してあろうがな。天には天の自由、地には地の自由、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、それぞれの制限された自由あるぞ。自由あればこそ動くぞ。自由とは弥栄のこと。光は神から人民に与へられてゐる。光に向ふから照らされる。光は、真、善、美、愛となり、又そのうちの〇、疑、悪、醜、憎となり現はれるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。悪にくむは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於る凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる。それが霊界と申してあらう。その霊界から更に人民にうつつたものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。前にも外道あるぞ。心得よ。光は天のみでなく、地からも人民からも、すべて生命あるものから出てゐる、今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ、おの御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのもの知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の輝く時ぞ来るなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。

(太陽出版 ひふみ新世紀 6頁ー16頁 より)* 今回の投稿は、10頁ー12頁迄。

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 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。