五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十三帖 (R7.10.20)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第十三帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第一巻

扶桑之巻 第十三帖

 称言太祝詞 ( たゝえごとふとのりと) こと今ぞ高らに。木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば為るぞ、六ヶ敷いこと申してゐるのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、みがけば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう、内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢや、中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 761頁ー762頁 より)

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 本帖の冒頭も片歌となります。意味としては「神を称える言葉や祝詞を、今この時に高らかに奏上す」となると思います。

 さて本帖の本文ですが、文章自体は、さほど難しい文章ではなく、素直に読めばよいと投稿者:加藤は思いますが、本文の内容に秘められたことは非常に深いとも感じていますので、文章が読みやすいからといって「はい、理解・了解しました」と安心しては駄目だと投稿者:加藤は思います。尚、当ブログでは未だ先の投稿になる所ですが、本帖とまったく同じことが降ろされている帖がありますので、下記に記しておきます。

 神国、神の宮早うつくれ。今度此処へ神が引き寄せた者は、みなキリストぢゃ。釈迦ぢゃぞと申してあろう。磨けば今までの教祖にもなれるミタマばかりぞ。それだけに罪深いぞ。岩戸あけて、めぐり果たさせたいのぢゃ。このこと肚によくわかるであろうが。

日月神示 第二十四巻 黄金の巻 第三十三帖

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。