第十三巻 アメの巻 第十二帖 (R7.10.14)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一三巻 アメの巻 第十一帖です、お読み下さい。

第十三巻 アメの巻

第十二帖 (三四六)

 上面 (うわっつら) 洗へばよくなるまれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ初めの行ざぞ。出て来ねば判らん様ではそれは神力無いのぞ、軽き輩 (やから) ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。悪神は如何様にでも変化るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民可哀想なから此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ断ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざからくどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民沢山出て来るから気付けておくのざ。まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから妙な事此の方がさしてゐるのざから、神の臣民心配ないなれどさうなった神の臣民未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。天の様子も変りて来るぞ。何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んからやりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇 (ぢや) でも改心さすのであるぞ。これまでは夜の守護であったが愈々日の出の守護と相談と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天子天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国真中の国は十万二十万の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのざぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。十二月七日、七つ九のか三神示。

* 引用文献に誤字がありましたので修正して投稿しています。誤:天四天下、正:天子天下。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 301頁−303頁 より)

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感想(0件)

 今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。

 上っ面だけ取りつくろっても何にもならんぞ、内側から改めなければならんのだぞ。神国のこと三千年や五千年と思っていては、なにも判らんぞ、十万年や二十万年のことでもないぞ。人民、自分の小さな狭い器でしか物事をみれないから、わけのわからんことになっているのだぞ、それで勝手に苦しんでいるから、悪神どもは、そこに付け込むのだぞ。

ってな感じですかねぇ〜

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。