第九巻 キの巻 第五帖 (R5.8.15)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回の御題は、第九巻 キの巻 第五帖です。この帖は肚で読むしか無い感じの帖ですが、日月神示に興味を持って、当ブログに来ている皆さまには、さほど難しい事では無いと思いますので、サクサクっと読んで下さい。

第九巻 キの巻

第五帖 (二六二)

 この神示は心通りにうつるのざぞ、思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、心違ふと今度はどんなに偉い神でも気の毒出来るぞ、この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろうがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。三月十日、一二の神。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 223頁 より)

 前回 (R5.8.8) に続き、大峠、大洗濯、身魂磨きを怠るな。って云う内容ですが、それに加えて「臣民今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ」と書いてあります。これは読んだまんまです。「我よし」自分さえ良ければ、それで良いという人間が多い事を嘆いている文章ですね。今の世の中、便利になりました。令和五年の夏はまだ残暑が厳しく異常な夏となっていますが、それでも、冷房の在る所へ逃げれば快適に過ごす事が出来ます。我々が快適になれば、それだけ地球が痛いと感じて、異常気象を起こす。これでは、悪循環を生み出すだけです。人間が自分達の利益を考え、どれだけの環境破壊を行ったでしょうか?環境破壊が起これば、当然ですが生態系に影響を出します。人間だけが快適ならば、それで良いのでしょうか?これも「我よし」の考えだと投稿者:加藤は思います。例えば、いまだに終わりが見え無い、ロシアとウクライナの戦争をみても、人間と人間以外にどれだけの被害を出しているのでしょうか?人間の勝手な争いに巻き込まれた生物の命は死んでも死にきれない思いでしょう。

 投稿者:加藤は、当ブログで何度か「研究小屋」という別カテゴリーの話題を出していますが、今月中、遅くとも来月中に「カルマ」についての投稿をします。「研究小屋」カテゴリーはブログ開設当初から作ってあるのですが、投稿が一ッも無いので、皆さまにはこのカテゴリーが見えて無いと思います。何故にこのような予告みたいな話を持ち出したかと言うと。今回の「我よし」と複雑に絡み合うカルマ的に云う「善も悪もない」で、日月神示では「悪を抱きまいらせよ」「悪の御用」などと出てきます。三千世界における魂の住み分けも絡み、非常に複雑な話になるのですが、人間が勝手に作ったルールでは「我よし」になってしまうのでしょう。例えば誰もが殺人は悪と考えます。しかし、その殺人者を他者が裁く事は悪では無いのでしょうか?殺人者に育たない様に、人を育てる努力をしないで、他人が他人を裁く。投稿者:加藤は、チョット理解が出来ません。炎上しそうな話題ですが恐れずに書くと、家庭環境が悪い家庭に育った子供は不幸な人生になりますよね?全部では無いと思いますけど。では、何故に家庭環境が悪い状況が生まれたのでしょうか?子供達の両親が「我よし」の考えで生きている親だったからでは無いのでしょうか?このての話を何故、何故と追及すると「カルマ」と云う単語で片付けられてしまう事が多いです。しかし「カルマ」とはと、説明を求めると、雲をつかむ様な答えしか帰って来ません。説明者側も良く解って無いのですよね。当ブログ「研究小屋」で、出来るだけ解りやすく「カルマ」に付いて説明しますので、楽しみにしていて下さい。今回は宣伝の様な投稿になってしまいました。ゴメンナサイ。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。