第十三巻 アメの巻 第十一帖 (R7.10.12)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一三巻 アメの巻 第十一帖です、お読み下さい。

第十三巻 アメの巻

第十一帖 (三四五)

 日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞキも出であるぞ判リタか。めんめめんめに改心めよと申してあろがな、人民と云うふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るからめんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気 (ケ) も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水でうでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止めの建替であるからよう腰抜かさん様見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰 (つぶ) れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。此の道難かしい道でないからその儘に説いて聞かしてやれよ、難しく説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難かしいのは理屈入るのざぞ、難かしい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊 (ことだま) もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲うけて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位判りておろがな。悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな日月の集団作り、教会作ってもならんが • 入れた集団作らなならんぞ、〇も作らず • も入らずに力出ない位判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲 (めくら) には困る困る。人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感 (きかん) に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に九 (コ) の花咲耶姫の神祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。十二月七日、ひつくのか三。

* 引用文献に誤字がありましたので、修正して投稿しています。誤:境界作ってもならんが、正:教会作ってもならんが。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 299頁−301頁 より)

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 今回も投稿者:加藤の解釈ではなく、本帖の大切と思はれる部分を、現代語にしておきたいと思います。

 自分で苦労を行わず、他人の苦労をあてにする、そんなことはしてはならんぞ、それは自分が息苦しいだけだぞ。そのような者は神の意にはそぐわんのだぞ。「外国では」などという例え話で「主義主張」をする者もおなじだぞ、そんな外国はないのだぞ、主義主張のための理想を勝手に投影しているだけだぞ。嘘だと思うなら、その外国へ行ってみよ、その外国からも、お前は嫌われるぞ、そんな理想を勝手に投影された事実はないのだぞ。自分んで苦労をしろよ。馬鹿になれよ。しかし、金を無心するような四つ足にはなるなよ。

ってな感じですかねぇ〜

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。