五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第八帖 (R7.9.24)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第八帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第一巻

扶桑之巻 第八帖

 平坂の岩戸 (言答) ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。救ひの手は東 (ヒムカシ) よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。今の方向では東北 (ウシトラ) から救ひの手がさしのべられるのぢや、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地 (千・智) の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅエぞ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 758頁 より)

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 本帖は黙示録というわりに、サクサクサクっと読める文章だと感じている方が多いと投稿者:加藤は思います。ですが、本帖は読みやすいようで、なかなかの曲者です。ですので例外とはなりますが、投稿者:加藤の説明を少々書いておこうと思います。

 冒頭は片歌です。平坂とは、「黄泉比良坂 (よもつひらさか) 」のことだと思われます。この坂は黄泉国と地上界の境界とされ、ここが「千引きの岩戸」で塞がれて、イザナギ神とイザナミ神が離別して「最初の岩戸閉め」となりました。その岩戸が開く時が来て、音が聞こえるという意味だと投稿者:加藤は思います。

 本文の方ですが、日月神示らしく、逆説や同じ字を使いながら、別々の意味を持たせるなど、非常に手の込んだ文章だと投稿者:加藤は思いますので、皆さまも言葉を一ッ一ッ拾いながら、深掘りしてみてください。「神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん」本文の書き出しです。ふんふんと読めてしまう人もいるかと思いますが、この文章はなかなかに奥が深いです。日月神示 第五巻 地 (九二 ) つ巻 第二十九帖に「天の異変は人の異変ぞ」と書かれていました。「天変地異」とは「我れ善し、体主霊従」の人間が起こしていると書かれているのだと投稿者:加藤は理解しています。又、「東西南北」や「東北 (艮) 」などは、同じ方位の漢字が当てられていますが、文中にもあるように「東」は方位ではないということですが、「東北」は方位と「艮」と二ッの意味を持たせています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。