第一〇巻 水の巻 第十三帖 (R5.8.8)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日の御題は、第一〇巻 水の巻 第十三帖です。一寸だけですが、解りづらいかも知れませんけど行ってみましょう。先ずは読んでみて下さい。

第一〇巻 水の巻

第一三帖 (二八七)

 火と水と申してあろうがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災いあるぞ。水の災いあるぞ。火のおかげあるぞ、水の災気つけよ。火と水入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度は神の事も大き声して言へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろうが。主人どっしりと座りておれば治まっておろうが。神国の型残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治るぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。六月十三日、みづのひつくのかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 247頁ー248頁 より)

 先ずは、令和五年八月に発生した台風六号により、沖縄県で被害に遭われた方々と、命を落とした方々に、心からの御見舞いと、御悔やみを申し上げます。

 さて、今回の帖は「火と水と申してあろうがな」との書き出しです。日月神示には良く出てくる火と水ですが「富士晴れるぞ」ともこの帖には書いてあります。富士の事も、日月神示には良く出てきます。数年前から、水の災害が地球規模で起こっています(最近日本では、海外の災害を報道しない事が多いですが)。又、地震や火山噴火も世界中の至る所で多く起こっています。火山活動は、そのまま火の災害ですが、地震も発生の時間帯によっては、大火災を引き起こしますし、震源地によっては、津波につながります。日本では数年前から「線状降水帯」なる聞き慣れない言葉を、良く聞くようになりました。そして、雨による災害が毎年のように起こり、その被害は年々悪化しています。日月神示を知る人々は言葉に出さなくとも、「大峠が始まっている」と思っている人が多い事でしょう。投稿者:加藤も大峠の本番が近いと感じています。この帖は、今後に起こる災害に警鐘を鳴らしているいるように読めますが「富士晴れるぞ」とも書かれています。これは身魂磨きに付いても書かれていると、投稿者:加藤は解釈しています。この火と水の災害の後に「富士晴れる」のであって、先ずはこの災害を乗り越えなければならないからです。身魂が曇っていては乗り越えられないとも、警鐘を鳴らしていると、投稿者:加藤は解釈しています。さらに「神国の型残してあるのざぞ」とも追い打ちのように書かれています。これも身魂を磨いて、肚で理解出来るようになってくれと言っているのでしょう。

 今回の帖とは関係無い話になるかとも思いますが、投稿者:加藤はこの世界に偶然と云う事は一切存在する事は無く、「全ては起こる事が起こるようにして起こる」と考えています。例を上げると、一生懸命がんばって、試験を満点で通過した。と思っていても、一生懸命がんばらされて、試験を満点で通過させられた。と考える人は少ないでしょう。頑張って階段から落ちて、骨折した。と考える人が少ない事と同じだと思います (投稿者:加藤の場合は、頑張らされ骨折させられカルマと云う借金を、一ッ返す事が出来たと、考えるのですが) 。我々人間は、自分の意思で生まれて来ているのですが、その事実を記憶している人は少ないです (この辺の仕組みは、別の機会に回します) 。そして、自分の意思で死の時期を決定する事も出来無い事も理解できていません (自殺に関しては、別の問題となるのですが、今回は触れません、長くなるので) 。始まりと終わりに自分の意思が無いのに、人生の途中経過にだけ自分の意思が存在すると思うのは何故でしょう。この問題への探求。投稿者:加藤は、それこそが我々人間が生まれてきた目的究明へ向かう入口の一ッではないかと考えています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。