ひふみ 新世紀 探求 (R7.9.21)
皆さまご機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回から、何時も当ブログのカテゴリー「日月神示」にて、引用させていただいている「太陽出版」の「ひふみ神示」を出版されている、同じ出版社から発売されている「ひふみ 新世紀」サブ・タイトル「神も人も禊ぞ」という岡本天明著の本の「まえがき」的な部分を何回かに分けて紹介したいと思います。当ブログにて、日月神示 基本十二巻を読んだ方にはおすすめの書籍となります。日月神示をより深く理解したいと考えているならば一読の価値がある本だと投稿者:加藤は思います。「ひふみ 新世紀」の「まえがき」的な部分は二部構成になっているのですが、先に第二部目の「ひふみ」という部分を二回に分けて紹介したいと思います。その後に第一部の「ひふみ 新世紀」という部分を紹介します。この「まえがき」的な部分だけでも、かなり面白い書籍なのですが、本文もかなり有益な情報だと投稿者:加藤は感じていますので、皆さまも、是非手に取って読んでみてください。では「ひふみ」の前半をお読みください。
ひふみ
一二三とは限りなき神の弥栄であるぞ、一 (ひ) は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神の能 (ハタラキ) が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今 (ナカイマ) ぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、*記号1 (うず) であるぞ *記号1 (うず) であるぞ。皆の者に一二三唱へさせよ。五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連 (いつら) ぞ、意露波 (いろは) ぞ、判りたか。
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞 (のりと) であるぞ。
たかあまはらに、かむつまります、かむろき、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちはなのおとのあはきはらに、みそぎはらひたまふと木に、なりませる。はらひとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらひたまへきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちとともに、あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、かめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ。
一二三四五六七八九十 (ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ) 。
一二三の仕組とは、永遠に動かぬ道のことぞ、三四五の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国 (クニ) にねり上げることぞ。
富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。
此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ。神に真直に向ふのざぞ。日向 (ヒムカ) と申してあろがな。
何もかも神示読めば判る様になってゐる事忘れるでないぞ。此の仕組云ふてなら図、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。石物云ふ時来たぞ、山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、何もかも神人共にするのざぞ、夜明けたら、何もかもはつきりするぞ。夜明け来たぞ。
(太陽出版 ひふみ新世紀 17頁ー23頁 より)* 今回の投稿は、17頁ー19頁迄。
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ひふみ新世紀 神も人も禊ぞ (Ten books) [ 岡本天明 ] 価格:1760円 |
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。