五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第五帖 (R7.9.3)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第五帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第一巻

扶桑之巻 第五帖

 八塩路の塩の八百会母いますくに。天の声あるぞ、地の声あるぞ、和して十の日月地と現はれるぞ、五十人の仁人が出て来るぞ、仁人とは神人 (カミヒト) のこと、この仁人が救世主であるぞ、救世主は一人でないぞ。各々の民族に現はれて五十人であるなれど、五十と言ふ数に囚われるなよ、五十人で一人であるぞ、数に囚われると、判らんことになり、岩戸しめとなるから気つけおくぞ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 756頁 より)

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 本帖も、五七七の律による片歌で始まっている文章となっています。日月神示 基本十二巻以降の神示にたいしては、投稿者:加藤の解釈をするべきではないと思っているのですが、本帖に関しては例外的に説明をしたいと思います。本巻の第四帖を投稿した時に「常識」で神示を読むことは誤解のもととなると書きました、本帖も「常識」で読んでいくことが危険になると投稿者:加藤は感じています。本帖の中に「五十と言ふ数に囚われるなよ」という注意が促されていますが、どのようなことなのかを見て行きましょう。「天の声あるぞ、地の声あるぞ、和して十の日月地と現はれるぞ」の意味ですが、天の声= • 、地の声=〇、和して十=⦿となります。十とはミロクの世という意味もありますが「完全」という意味でもあります。天=日=陽、地=月=陰とが地上界において和する (結ばれる) ことで、完全状態=⦿となるということだと投稿者:加藤は理解しています。さて「常識」の話ですが、本帖で五十という数字が出てきます。日月神示 基本十二巻を熟読している方は、何となく気付いていると思いますが、重要なのは「五十」というより「五」です。「五」とは、根本数であり、五は⦿のことでもあります。ですので五は「天の中の元のあり方」であり、世の元の大神様に直結するものなのです。本帖の最後の言葉「岩戸しめとなるから気つけおくぞ」との注意書きは非常に重たい言葉です。我々の学や智で、鼻高になって、判ったつもりでいると「岩戸閉め」となってしまうと注意されているのだと投稿者:加藤は強く感じます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。