第一一巻 松の巻 第一帖 (R5.7.25)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回の投稿では、投稿者:加藤が見解を書く事が憚れる程の長文な帖を選ぶべきか、短文の帖を御題に色々な話を書き綴るかを悩み、後者を選ぶ事にしました。今回の御題は、第一一巻 松の巻 第一帖になります。とても短い帖になりますが、皆さまには面白い話しが出来ると思います。投稿者:加藤の奥様や娘様には「もう、うるさい」などと酒を呑みながら、良く言われますが、投稿者:加藤が何度も何度も話すので、聞き飽きた話の一ッなのでしょう。でも、皆さまには「始めて聞く話だよ!」となると思います。先ずは御題を読んで下さい。
第一一巻 松の巻
第一帖 (二九二)
富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界ぢうに揺りて眼覚すぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩さん仕組ぞ。六月十七日、あめのひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 253頁 より)
皆さまには、米国第33代大統領ハリー・S・トルーマンを筆頭にした GHQ の悪行は、過去の投稿で何度か取上げたと思います。興味のある方は既にネットで調べた事でしょう。そして前回投稿 (R5.7.18) で取上げた三千世界の話を、もう少し話します。仏教の考えを否定するつもりはないですが、前回話した三千世界の定義で話すならば、仏陀(ゴータマ・シッタールダ)にしろイエス・キリストにしろ五六七(日月神示ではミロクと読む事が多い)世界の者ですので、全てを知り得る者ではありません。ちょっと前置きが長くなりましたが、仏教的に良く言われる天命、志命、我命、宿命とがあります。先ず今回の一ッ目は、天命に付いての説明です。辞書などで調べると、運命だとか使命 (志命) などの文字が出てくる。これは解釈が全く間違えていて、天命の意味は一ッしか無いのです。天照大神の孫、瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト) に、天照大神が瓊瓊杵尊に授けた三大神勅の通りな世界になる様に生きる事、それが我々日本人の天命で、それ以上でも、それ以下でも無いのです。それと三千世界を理解する上で大事な話を一ッ、仏教思想で云うところの地獄は存在しないという事を覚えて置いて下さい。ですが、この理由は後々の投稿 (三千世界の説明) でさせてもらいます。何故なら次の文章の方を今回は優先させたいので。
さて、お待たせしました。一寸ビックリな話。「煎り豆花咲くぞ」と今回の帖に非常にあっさりと書いてありますが、煎って火の入った豆が芽を出して花が咲くって言ってるんです。そんな馬鹿なって話ですよね。でもこの言葉には深い意味があるんです。古事記 (こじきとは読みません、ふることぶみと読みます) では、日本書紀と違い、神世七代から話は始まりますので、筆頭神では無いですが、日本書紀で筆頭として現れる神が国常立尊 (クニノトコタチノミコト) です。ちなみに、古事記での筆頭神は天之御中主神 (アメノミナカヌシノカミ) です。話は戻りますが、この国常立尊は非常に厳しい神様だったそうで、他の神神から排除されてしまったのです。そして現在では鬼門とされている北東 (艮) に閉じ込められ、煎った豆が芽を出すまで、出て来るなと呪文までかけられたのです。そうです、現代人の我々が、艮の金神として恐れている神様は、国常立尊なのです。節分の日に、北東に向けて煎った豆を「鬼は外」と言いながら投げ付ける行為が如何に罰当たりな行為か御理解いただけましたか?今後の節分では、「福わ内、鬼も内」と豆まきをしましょう (笑) 。ちなみに、お正月に食べるお雑煮ですが、投稿者:加藤の家では決して食べません。理由は、国常立尊を艮に閉じ込めた時に、国常立尊の臓物を煮て、国常立尊を排除した祝いとして食べた事が始まりだからです。お雑煮の本当の漢字はお臓煮なのです。ビックリしたと思います。「始めて知ったよ!」な話だったと思います。まだまだ話したい事があり過ぎて、乱文になってしまいました、またこの様な話しが出来ると思います。楽しんでいたたげたなら幸いです。別カテゴリー上になるかと思いますが、裏鬼門 (南西) に閉じ込められているのは、艮の金神の奥様 (神様ですが) だと云う話も伝えられたらなァ〜〜と思います。この世は嘘で溢れています。投稿者:加藤が一番嫌いな事は、嘘です。人の為の嘘ならまだ許せますが、自分の為に嘘を吐く「これこそ究極の我良し (自分さえ良ければ、それで良い) 」では無いでしょうか?そんな事では何千年と生きても身魂は磨けません。皆さま、他人にも自分にも、正直に生きて行きましょう。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。