五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第二帖 (R7.8.25)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、五十黙示録 第一巻 扶桑之巻 第二帖です、お読み下さい。

五十黙示録 第一巻

扶桑之巻 第二帖

 なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ、

 一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、人民大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、〇 (レイ) がもとぢや、*記号1 一 (レイ) がもとぢや、結びぢや弥栄ぢや、よく心得なされよ。世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水 (一と三) のドロドロ (十*記号1 十*記号1) であったぞ、その中に五色五顔の龍神 (*記号1 ——二ん) が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢや、今の人民は竜神 (*記号1 ——二ん) と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ、竜神 (*記号1 ——二ん) とは *記号1 神 (理⦿) であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一 (ヒトツ) であるぞ。

 戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 754頁−755頁 より)

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 今回も投稿者:加藤の解釈は避けておきたいと思いますが、資料的なものを提示しておきたいと思います。文頭の「中臣 (なかとみ) の太祝詞言 (ふとのりとこと) ふとにのりあぐ」ですが、五七七の律を踏んでいますので、和歌の一種である片歌だと思われます。日月神示に降ろされている歌ですので、神が片歌に込めた「言霊」なのだと投稿者:加藤は理解しています。次に数字の説明が書かれています。この数字の解読に通じるか否かは判りませんが、よい機会なので、出口王仁三郎の「霊界物語」の中の「天地創造」における数霊の解釈を、資料として下記に掲載しておきます。

 高野此女の神が婚 (とつ) ぎの御宴 (ぎよえん) に際し言拳 (ことあ) げ給ひたる一二三四 (ひとふたみよ) の歌

一 (ひと) は霊なり、火なり、日なり

二 (ふた) は力 (ちから) なり、吹く呼吸 (いき) なり

三 (み) は体 (たい) なり、元素なり

四 (よ) は世界の世 (よ) なり

五 (いつ) は出 (いづ) るなり

六 (むゆ) は燃 (もゆ) るなり

七 (なな) は地成 (ちな) るなり

八 (や) は弥々益々 (いよいよますます) の意 (い) なり

九 (ここの) は凝 (こ) り固 (かたま) るの意なり

十 (たり) は完成 (かんせい) の意なり

百 (もも) は諸々 (もろもろ) の意なり

千 (ち) は光 (ひかり) なり、血汐 (ちしお) の血なり

万 (よろづ) は夜出 (よいづ) るの意なり

この資料が、本帖の解読に通じるかは判断出来ませんが、投稿者:加藤本人としては、本帖に書かれている数字の考え方は、何となく理解できています。いえることは三次元世界 (地上界) とは考えかたが違う様子だということです。しかし、地上界に存在していたとしても、ものの見方を変えることで、見えないものも見えてきたりしますので、皆さまも人間が勝手に作り上げた「常識」という殻を破ってみてはどうでしょうか?

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。