混沌から光明へ 探求 ॐ19 (R7.8.21)

ॐ19

さて つぎなる第三の道は

世の中に

わかった存在

が本当にいるという事実を信じきることです

彼らが言った言葉 あなたにはそれが本当だとわかってしまう

それはもはや推論ではない 知的なプロセスでもない

あなたはただ 彼らの言ったことを受けいれてしまう

それは信仰です

いいですか

われわれの価値判断のメカニズムは あまりにも洗練されすぎていて

自分が耳にするあらゆることに いちいち疑いをもってしまう

どうしてインチキされていないなんていうことがわかります?

つまり イエスっていうのは結局 何をしようとしていたのか?

あのゲームは何だったのか?

あいつは何をやりたかったのか?

そのうえ もし自分が寺院でご開帳中の

あの悪徳商人たちのひとりだったとしたら

そのパラノイアはひとしおです

つまり もしも自分が

ものすごい執着で

ものすごい執着で

体制に加担しているとしたら

この部屋にいる人の大部分が

(大部分であって、全員ではありません)

何らかの形で その可能性に気づいていると思います

でも それをはっきりさせてしまうと……!

* 本投稿の趣旨が解らないという方は、当ブログのカテゴリー「お知らせ」の「混沌から光明へ 投稿開始! (R7.6.13) を一読願います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。