第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十二帖 #2 (R7.7.28)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十二帖です、お読み下さい。
第一二巻 夜明 (四あ) けの巻
第十二帖 (三三二)
あら楽 (たぬ) し、あなさやけ、元津御神の御光の輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉 (かきは) も言止 (ことや) めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年目出度けれ。一二三 (ひふみ) の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。八月の七日、アメのひつくのかみ。
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 278頁ー279頁 より)
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価格:8800円 |
今回の投稿は、前回の投稿の続きとなります。「一二三 (ひふみ) の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか」の部分ですが、「裏の御用」と書かれていますので、この言葉は「表」に対して「裏」があるということになります。「その覚悟せよ」とも書かれていますので、「裏の御用」とは「悪の御用」と考えてよいと投稿者:加藤は思います。「今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど」との言葉にも通じると思います。しかし「楽しき苦労ぞ目出度けれ」とも書かれていますので、御霊磨きが進んでいる人間にしてみれば、ミロクの世に向かう苦労なので、楽しく勇む苦労であり、目出度い苦労に感じるという意味だと投稿者:加藤は思います。
「待ちに待ちにし秋来たぞ」ですが、本帖が降ろされた日付が昭和二十年八月七日で、翌日が立秋の八月八日です。この「待ちに待ちにし秋来たぞ」は、間違いなく立秋の八月八日を指している言葉だと投稿者:加藤は思います。そして本巻の第九帖で、岡本天明達に指示が出された「てんし様」奉斎の、その日なのです。
前回の投稿でも触れていますが、本帖は他の書籍では、二ッの帖に別れていることもある帖ですので、この「待ちに待ちにし秋来たぞ」で、本帖の本文が終わるとも考えられます。日月神示の第一部 (基本十二巻) も終わりに近づき、総括的な内容にも取れる文が続いていると投稿者:加藤は感じています。当ブログにて、日月神示の基本十二巻が全て終了した時点で「日月神示 基本十二巻を終えて」の総括的な投稿を予定していますが、この基本十二巻では、言葉を変えて色々と伝えられてはいるのですが、大きく分けて三ッのことが書かれているのだと投稿者:加藤は思います。一ッ目は、御霊磨きの重要性と、御霊磨きの方法。二ッ目は、岡本天明達に向けた「神業」の指示、特に「てんし様」奉斎に向けた準備。三ッ目は、磐戸開きの幕開けを知らせる内容で、その他の磐戸開きに向けた大峠の到来を告げる内容と大峠の様子だと投稿者:加藤は思います。
本帖の最後に「一二三祝詞」が記されています。そして注目したいこととして、本帖には「一二三祝詞」を宣れとは一言も書かれていないことです。即ち、これは神御自身が宣っているということです。この八月八日の秋立つ日に、てんし様が奉斎され、一区切りついたということなのだと投稿者:加藤は理解しています。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。