第四巻 天つ巻 第五帖 (R5.6.27)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回の御題、天つ巻の第五帖を先ず読んで下さい。
第四巻 天つ巻
第五帖(一一二)
牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定ってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろうがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろうがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろうがな、くどう申すぞ。八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。八月の三十一日、ひつくのか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 94頁 より)
今回の帖は、食に関する話題です。日月神示の中では戒めに分類される神示だと思います。過去の投稿でも書いたかなと、投稿者:加藤は記憶していますが、食問題は今の時代背景にしても、我々個々の人間にしても大切な問題なので、何度でも当ブログでは触れて行こうと考えています。
地産地消は当然ですが、近くて遠い物を食するという考えも大事です。近くてとは、地産品の事ですが、遠いとは、生き物として我々人間から種族が遠いという意味です。今回の御題にも「牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定ってゐるのざぞ」と書かれています。動物の命を奪って喰う事と同じで、植物の命を奪って喰うのも駄目なんじゃないか?と言う人がいますが、そうでは無いのです。植物は動物と違い、自分で移動が出来ません。という事は、自分で新天地に子孫繁栄が出来ないのです。ですので、移動が出来る動物に喰してもらって、その動物の排泄物によって、種を新天地に運んでもらっているのです。ですので、植物は動物に食される事が喜びなのです。
余談になりますが、皆さまは狂牛病(BSE牛海綿状脳症)という牛の病気を覚えていますでしょうか、牛に与える餌に、肉骨粉という動物性の飼料を混ぜて食べさせていた事によって、発病する事が確認された病気で、その病気になった牛を、人間が食すると、人間も狂牛病になるという病気です。草食動物である牛に同類の肉や骨を食べさせた事によって、この世に出て来た病気、その原因は「共食い」です。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。