第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十二帖 #1 (R7.7.27)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十二帖です、お読み下さい。
第一二巻 夜明 (四あ) けの巻
第十二帖 (三三二)
あら楽 (たぬ) し、あなさやけ、元津御神の御光の輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉 (かきは) も言止 (ことや) めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年目出度けれ。一二三 (ひふみ) の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。八月の七日、アメのひつくのかみ。
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 278頁ー279頁 より)
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価格:8800円 |
先ずはじめに、今回及び今後の投稿について、おことわりしておくことがあります。本帖は日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十二帖として進めていますが、後半の「一二三祝詞」の部分を含めて、第十二帖となっています。日月神示の他の文献では、ここでの後半部分 (一二三祝詞の部分) を第十三帖としている文献も存在します。ですが当ブログで引用している「太陽出版 新版 ひふみ神示」では一二三祝詞を含めて第十二帖としていますので、当ブログでは、今回及び以降の投稿も「太陽出版 新版 ひふみ神示」にあわせて投稿していきます。また、本帖の解釈は長くなりそうですので、今回と次回と二回に分けて投稿したいと思います。
書き出しの「あら楽 (たぬ) し、あなさやけ」という神の言葉から始まる文章です。この言葉は前帖の「岩戸開きのはじまめの幕開け」を神が喜んでいる表現です。「元津御神の御光の輝く御代ぞ近づけり」とはミロクの世が、地上界にも近づいているという意味ですが、マァ我々からすれば、ミロクの世までの道程はまだまだ時間がかかると投稿者:加藤は思います。「草の片葉 (かきは) も言止 (ことや) めて」とは一寸難しい表現かと思いますが、これは大祓詞 (おおはらえことば) の中の「言問 (ことと) いし磐根木根立草 (いわねきねたちくさ) の片葉 (かきは) も言止 (ことや) めて… 」という一節の言葉と同じで、意味としては、高天原から天津神が、降下し、地上界を治めようとした時に、それまでペチャクチャと喧しく喋っていた石や木、草の葉までがピタリと喋るのを止めたという意味です。???と思う方もいるかと思いますが、地上世界のものが全て、天津神の力と威厳の前に「平伏した」ということを、悪い意味では取らないでもらいたいと投稿者:加藤は思います。この力と威厳は「歓喜」なのだと投稿者:加藤は考えていますので、この歓喜の前では、ただただ畏まり、平伏すことしかできないのだと思います。
「今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年目出度けれ」の部分は、「今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ」の説明の前に「子の年目出度けれ」の部分の説明が必要だと投稿者:加藤は思います。この「子の年」は日月神示で何度か書かれていますので、第七巻 日の出の巻 第二帖と第八巻 磐戸の巻 第十六帖から一部分を再度引用しておきますので、読んでください。
「九歳 (とし) は神界の紀 (もと) の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三 (ひふみ) 、三四五 (みよいづ) 、五六七 (みろく) ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ」日月神示 第七巻 日の出の巻 第二帖 より
「子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ」日月神示 磐戸の巻 第十六帖 より
と書かれていました。「今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ」の文章と合わせて考えるならば、「子の年目出度けれ」の「子の年」は、大峠の時期を示していると投稿者:加藤は思います。「子の歳真中にして前後十年が正念場」とありますので、「子の年」の前後五年間、合計十年間が正念場との考え方は、大本の考え方で、前後十年、合計二十年間が正念場だとも考えられます。では近々の「子の年」を見てみましょう。西暦2008年の「子の年」で考えるならば、西暦2003年〜2013年、又は1999年〜2018年ですが、この期間を大峠と考えてもおかしくないほどに、色々な事件・事故・大災害がありました。日本に限って考えるならば、東日本大震災と関連し東京電力福島第一原子力発電所の大事故と… 次に西暦2020年の「子の年」で考えるならば、西暦2015年〜2025年、又は2010年〜2030年です。この期間は、今現在真っ只中ですが「子の年」の2020年は本来の予定では「東京オリンピック」の開催年でした。皆さまもご存知のように、世界的パンデミックを起こした「武漢肺炎」の影響で、2021年までの延期が決定され、過去に例のない、歓声の無いオリンピックとなりました。さて、ここで皆さまは、今が「大峠」なのか、まだ先の話なのかを知りたいと思っていることでしょう。しかし、大峠の時期は判りません。何故ならば、大峠の時期を決定するのは「神」ではなく、我々だからです。神仕組とはいえ、地上界の流れを決めるのは「人間の自由意志」が働くからです。大峠を迎えられる状況とは、身魂磨きの進行が重要になるのだと投稿者:加藤は思います。日月神示に何度も何度も「神は待てるだけ待っている」と書かれています。そして「いつまでも待てない」とも書かれているのです。ですので、我々は「大峠」が何時なのかを探求しても「智」と「学」では見当がつかないので、世界情勢を冷静に見つめて「御霊磨き」と「神祀り」に精を出すのがよいと投稿者:加藤は思います。
次回の投稿に続く。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。