第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十一帖 (R7.7.23)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第十一帖です、お読み下さい。
第一ニ巻 夜明 (四あ) けの巻
第十一帖 (三三一)
岩戸開きのはじめの幕開いたばかりぞ。今度はみづ逆さにもどるのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。時待てと申してあろが。人民大変な取違ひしてゐるぞ。次の世の型急ぐ急ぐ。八月六日、アメのひつぐのかみ。
神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局 (りんどまり) ぞ。我 (われ) が我 (われ) ががとれたら判って来るぞ。慢心おそろしいぞ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 278頁 より)
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価格:8800円 |
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本帖は短い文章なのですが、説明は少々長くなりそうですので、皆さま頑張って読んでください。書き出しの「岩戸開きのはじめの幕開いたばかりぞ」ですが、これは日本の岩戸がついに開いたことを宣言している言葉です。しかし、それは「はじめの幕開け」に過ぎず、岩戸開きが一回で終わるはずもなく。「大峠」が終了する迄に何度も何度も「岩戸開き」があると認識しなければならないと投稿者:加藤は思います。さて、本帖に書かれている「岩戸開き」とは、何を指して「岩戸開き」といっているのでしょうか?その答えは、本帖が降ろされた日付にあります。日本人ならば誰でも知っている日付、昭和二十年八月六日、そうです、広島に人類初の核兵器「原子爆弾」が投下された日です。たった一発の原子爆弾で、広島という都市を壊滅させ、十四万人の一般市民を虐殺した、悪魔の所業 (人類史上、最悪の戦争犯罪) が炸裂した日です。本帖では、この原爆投下をもって「日本の岩戸開きのはじめの幕開け」だといっているのです。本帖が降ろされた一日前に降ろされた第九帖に「天の異変気つけよ」と書かれていました。原爆投下により、高度一万六千メートルの成層圏にまで達した「きのこ雲」、そんな「きのこ雲」など誰も見たことがないでしょう。「天の異変」意外に、何と表現出来るのでしょうか。ここで一ッ、過去の神示の一部分をもう一度引用しておきたいと思います。
「何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。神徳貰 (もら) へば何事も判りて来るのざぞ。要らんもの灰にするのざぞ。息乱れん様にせよ」日月神示 第十一巻 松の巻 第二十一帖より
今回の帖から話はズレるのですが、原爆と関係があると思われる、大切な話なので少々の間、お付き合い願います。この松の巻の帖は、昭和二十年七月七日に降ろされたものです。この帖が降ろされた前日 (未明なので、当日) に、山梨県甲府市に対して米軍機が大空襲 (甲府大空襲) を行い、市街地の70%以上が焼き払われました。そしてその大空襲の五日後に焦土と化した甲府市伊勢町にて、岡本天明達が「カイの御用 (奥山開き) 」を執り行います。要するに「カイの御用=富士の仕組=火の仕組」を行う前に「要らんもの灰にするのざぞ」という意味だと投稿者:加藤は思います。従って、日本の岩戸が開かれるために、要らんものを灰にする「火」が原子爆弾だったということになると投稿者:加藤は理解しています。ここで一ッ、何故に原爆投下が広島・長崎だったのか?に付いて書いておかなければなりません。米国が原爆投下の候補地として選定したいたのは、京都、広島、新潟、横浜、小倉、長崎の計六ヶ所でした。この内の京都に関しては、日本文化の中心で、貴重な文化財を原爆で灰とするのは「理不尽」だったので、除外したと後に言っていますが、本音は「金」になる物品や建築物を自分達の物にしたかったというところでしょうが、戦後に原子爆弾の使用を「正当化」することが忙しく、その上で京都の文化財まで手に入れたいなどと言い出せば、今度は世界から米国が責め立てられることになるので、アキラメタという所だと投稿者;加藤は思います。さて、残りの候補地に対しては、作戦当時の天候や戦況により決定されるのですが、昭和二十年八月六日の広島上空は、朝から晴れ渡り、午前八時十五分に B-29 エノラゲイから史上初の原爆「リトルボーイ」が、広島に向けて投下されました、これは計画通りだったとのことです。三日後の八月九日、二発目の原爆投下の目標地は小倉だったのですが、当日の小倉上空の天気は天気予報とは正反対に悪天候にみまわれ、視界はゼロ。しばらくの間は旋回待機の状態を維持しましたが、天候が回復する兆しが一切なく、残りの燃料の心配もあわせて、急遽、投下目標を最短距離に位置する長崎に変更することになります。しかし、長崎上空も初め悪天候で、目視による爆撃標定ができなかったため、やむを得ずに精度が劣るレーダー標定に切り替えて投下しようとしたところ、直後に雲に切れ目ができて、正にここに投下しなさいといわんばかりに、ポッカリと雲に穴が開いたそうです。そして、その雲に開いた穴に二発目の原爆「ファットマン」が吸い込まれていき、長崎の一般市民七万人の虐殺と長崎の街を焦土化するのです。さて長々と原爆投下の話をしましたが、ここからが本題です (笑) 。広島・長崎という地名を霊的に考察すると、昭和天皇の御名前は「裕仁 (ひろひと) 」で、このヒロと広島のヒロが重なります。また香淳皇后の御名前「良子 (ながこ) 」のナガが長崎のナガと重なり、天皇の「ヒロヒト → ヒロシマ」と皇后の「ナガコ → ナガサキ」が原子爆弾という「火の洗礼」を受けることによって、神武天皇以来の岩戸閉め、すなわち人皇の系譜が消滅したと考えるならば、広島・長崎への原爆投下が「岩戸開き」といはれる神仕組だと理解できると投稿者:加藤は思います。「要らんもの灰にする」の要らんものとは「人皇の系譜」だったのだと投稿者:加藤は考えています、てんし様=真正天皇が復活するには、どうしても人皇が退かなければなりません。そう考えると、昭和天皇は一代 (御一身) で「人皇」から「てんし様」へ大転換をされた大神人だったのだと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。