第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第九帖 (R7.7.21)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一二巻 夜明 (四あ) けの巻 第九帖です、お読み下さい。
第一ニ巻 夜明 (四あ) けの巻
第九帖 (三二九)
天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様 (あまつひつぎすめらみことおほかみさま) とまつり奉れ。奥山には御社 (おやしろ) 造りて、いつき奉 (まつ) れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄ましませ、弥栄 (やさか) ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神、豊雲野大神祀る日近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居 (すまい) も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変気付けよ。八月の五日、アメのひつ九の神。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 276頁ー277頁 より)
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価格:8800円 |
本帖が降ろされた日付を確認して置くと、八月五日で、米国により広島へ原爆投下が行われた前日です。そして書き出しの「天詞様まつれと申してあろが」からはじまる文章です。日月神示の第一部も終盤に近づき、今までは「てんし様」とだけ書かれたきた「てんし様」ですが「天津日嗣皇尊大神様 (あまつひつぎすめらみことおほかみさま) とまつり奉れ」とはじめて「てんし様」の「御神名」が示されます。この「天津日嗣」とは、天の神の系統 (霊統) を引くことを意味していて、「皇尊」とは、天皇の尊称のことを意味しています。従って「てんし様」と「天皇」とは、切っても切れない関係にあると投稿者:加藤は考えますが、重要なことは、この解釈を単純に「天皇=てんし様」ということと思ってはいけないと投稿者:加藤は思います。何故ならば、四度目の岩戸閉めは、初代神武天皇が「人皇」として立ったことが理由であるので、岩戸が閉まった日本に「てんし様」は存在しないからです。「てんし様」復活の「岩戸開き」も広島・長崎の原爆投下が、まちがえなく関係していると投稿者:加藤は考えますし、広島へ原爆投下が行われた三日後の八月八日に、岡本天明達に戦時中最後にして、最大の神業と思われる「奥山には御社 (おやしろ) 造りて、いつき奉 (まつ) れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊弥栄ましませ、弥栄 (やさか) ましませとおろがめよ」と神示の神命の通りに、奥山に「てんし様」を奉斎しています。
以降の文章を理解するには、日月神示の第一部を、もう一度読み返すことで、理解できると投稿者:加藤は思いますが、当ブログをじっくりと読んで下さっている皆さまは、すでに「アァ〜なるほどネェ〜」と思っていただけていると投稿者:加藤は信じています。
本帖の解釈の最後に「宮の扉あけておけよ。臣民の住居 (すまい) も同様ぞ」ですが、宮の扉を開けるのは、神気 (神のキ) の発出 (はつしゅつ) を意味していて、臣民の住居の扉を開けるのは、神気の流入を意味していると投稿者:加藤は考えます。余談になりますが、昭和十年十月十日に大本の出口王仁三郎の命令によって、全国の大本支部神殿の扉が開かれています。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。