第一一巻 松の巻 第二十五帖 (R7.6.29)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第二十五帖です、お読み下さい。

第一一巻 松の巻

第二十五帖 (三一六)

 ムからウ生れ、ウからム生れると申してあるが、ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ。今度の大峠はムにならねば越せんのざぞ。ムがウざぞ。世の元に返すのぞと申してあろが。ムに返れば見えすくのざぞ。風の日もあるぞ。七月十一日、アメのひつくのかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 266頁 より)

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 日月神示の第一一巻 松の巻は全体的に短い帖が多く、そのぶん難解な帖が多い巻となります。本帖も書き出しから「ムからウ生れ、ウからム生れると申してあるが、ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ」と、何やら難解な文章だと投稿者:加藤は思うのですが、頑張って謎解きをしていきましょう (笑) 。まず「ム」とは「無」と置き換えてよいと投稿者:加藤は思います。ですので、「ウ」は「有」と読めば… と簡単な話ではなさそうです。ですが「無」と「有」の関係性をスピリチュアル的な概念で説明すると、無=宇宙創造神であり、宇宙に存在する星々や生き物が「有」にあたります。ですが本帖は日月神示の文章ですので、何だか解ったような、解っていないようなスピリチュアル界隈の小さな考えで収まるワッキャナイのです。ですので、無=主=内=魂で、有=従=外=身ではないかと投稿者:加藤は考えています。要するに ⦿ の記号の説明だと投稿者:加藤は思っています。「ウム組み組みて、ちから生れるのざぞ」の説明は、神人一体になり、力が生まれると解釈できると投稿者:加藤は思います。本帖全体をそのように考え (置き換え) ながら読めば、本帖の意味も把握しやすいと思います。

 最後の「風の日もあるぞ」は、岡本天明達に宛てた言葉だと思いますが、神業の最中に神業が行えないほどの強風の日があったのでしょうか?唐突に書かれている、この言葉は謎です…

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。