第七巻 日の出の巻 第八帖 (R5.5.30)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。本日の御題は、第七巻 日の出の巻 第八帖です。短い帖です。

第七巻 日の出の巻

第八帖 (二二一)

 一二三の食物に病無いと申してあろうがな、一二三の食べ方は一二三唱へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。日本の国は此の方の肉体と申してあろうがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろうが、心配れよ、十二月七日、ひつくのかみふで。

*「唱へ」は「十七へ」で「となへ」、「集団」は「まどい」、「心配れよ」は「こころくばれよ」と読みます。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 179頁 より)

 この帖は短く、簡単な様に感じる方もいるかと思いますが、投稿者:加藤は言葉が足りないのではないかと思っていますので、少々補足させて下さい。「一二三唱へながら」とありますが、この帖で出てくる「一二三」は全て「一二三祝詞」の事を指しています。一二三祝詞とは、神道の祝詞の一ッです。「ひふみ」から始まる日本語の清音四十七音が、全て重ならない様になっています。この一音々々には、言霊が込められており、四十七文字の「一二三祝詞」の中に深淵な意味が隠されているとされています。「肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ」は、一口の食物を口に入れたら、一二三祝詞を一噛みごとに四十七音、心で唱えてから呑み込めという意味ですね。それで、体の病は治ると言っています。確かに、食事を良く噛んで食べる人は、健康な人が多いですよね。「心の病は一二三唱へる事に依りて治り」は、心に病があるならば、常に一二三祝詞を唱えなさい。と言ってます。「心の病」とは…この解釈は難しいですし、各自が自分で理解していると思います。例を上げるならば、些細な事で腹が立つ事などは、心の病の一ッではと、投稿者:加藤は考えます。

 「日本の国は此の方の肉体と申してあろうがな」ですが、投稿者:加藤の解釈では、地上は「天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)」そのものだと解釈しています。そんな地上にタバコの吸い殻をポイ捨てする事など、デキナイ、デキナイ。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。