第一一巻 松の巻 第二十帖 (R7.6.18)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第二十帖です、お読み下さい。

第一一巻 松の巻

第二十帖 (三一一)

 此処まで来れば大丈夫ざぞ。心大きく持ちて焦らずに御用せよ、饌 (け) にひもじくない様、身も魂も磨いておけよ。もう何事も申さんでも、天と地にして見せてあるから、それよく見て、改心第一ぞ。悪は霊力が利かん様になったから最後のあがきしてゐるのざぞ。人助けておけば、その人は神助けるぞ。神界と現界の事この神示よく分けて読みて下されよ。これから愈々の御用あるぞ。皆の者も同様ぞ。七月五日、あめのひつくのかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 263頁 より)

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 本帖も短い帖で、意味を捉えるのが難しい帖となります。「神界と現界の事この神示よく分けて読みて下されよ」の部分から見ていきましょう。先ず「此処まで来れば大丈夫ざぞ」とは、現界 (地上界) のことを述べている部分ではないと投稿者:加藤は思います。時代背景的に「もう大丈夫」ではマッタクない時期であるからです。ということは、この「此処まで来れば大丈夫ざぞ」とは、神界や幽界のことを述べていると考えるのが自然ではないかと投稿者:加藤は思います。次に「心大きく持ちて焦らずに御用せよ」の部分に関しては、岡本天明達に向けた言葉だと投稿者:加藤は理解していますが、最後の文章である「これから愈々の御用あるぞ。皆の者も同様ぞ」の文章に関しては、岡本天明達だけではなく、日本の臣民全てに向けた言葉だと投稿者:加藤は思います。

 「饌 (け) にひもじくない様、身も魂も磨いておけよ」の文章ですが、聞き慣れない言葉だと思いますが「饌」とは「食・食料」という意味で、現在の世の中で使用する場面としては、神社や、神棚で神様に捧げた、酒や米、塩、水、果物等々を下ろし、人々に与える物を「神饌」と呼ぶ時に使用する以外で、投稿者:加藤は見たことがありません。で、この食料がなく「ひもじい」思いをしないように、身魂を磨けと伝えている文章です。時代背景を考えると、この時期から日本では、本当に食糧難となって行くのですが、身魂が磨かれ神人一体となっていれば、神の守護により必ず食料は、必要な分だけ手に入ると解釈できると投稿者:加藤は思います。とはいっても「手に入る」とは他力本願なことではなく、積極的に穀物や野菜を栽培し、他の人々と分け合える環境が出来るという意味だと思います。

 「天と地にして見せてあるから、それよく見て、改心第一ぞ。悪は霊力が利かん様になったから最後のあがきしてゐるのざぞ」ですが、これは神界の話ですので、現界の我々が未だ経験していない内容なのですが、「悪は霊力が利かん様になったから最後のあがきしてゐるのざぞ」の文章からも判るように、現界では未だ「悪の霊力が全盛期であり、神国日本を破壊しようとしている」ことが伺えると投稿者:加藤は理解しています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。