第一一巻 松の巻 第十一帖 (R7.6.4)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第十一帖です、お読み下さい。
第一一巻 松の巻
第十一帖 (三〇二)
今の法律此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ。凝り固まると害 (そこな) ふぞ。此の道中行く道と申してあるが、あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ。神の国と申すものは光の世、よろこびの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。見事此の方についてご座れ。手引っぱて峠越さしてやるぞ。六月二十五日、あめのひつぐのかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 259頁 より)
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価格:8800円 |
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「今の法律此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ」神様は駄々っ子ですか?みたいな書き出しです。当然ですが、この書き出しは、神様が駄々をこねているわけではありません。「凝り固まると害 (そこな) ふぞ。此の道中行く道と申してあるが」と文章は続きます。凝り固まるの意味ですが、日月神示の第二部に入ると見えてくることなのですが、今回の投稿で簡潔に説明すると「ケガレ (穢れ) 」と「ハライ (祓い) 」のうちの「ケガレ」が「固まり」となります。
◎ 凝り固まったものがケガレです。
◎ 肉体があるから固まら無くてはなりません。
◎ • が枯れることをケガレといいます。
ということですので「凝り固まると害 (そこな) ふぞ」とは「⦿の • が枯れるてしまい、凝り固まると害が出る」という意味になります。次に「此の道中行く道と申してある」の意味ですが、「中道」とは「神の道」ですので、その道から左右のどちらかに逸れた道で、その逸れた道に「凝り固まっている」のが、現在の法律なので、神が嫌っているということだと投稿者:加藤は理解しています。
「あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ」ですが、現在の生活的に判りやすく説明すると、「さすが、〇〇さんの所の社員は、しっかり教育されている」と誰もが認める行動。「さすが、〇〇さんの子供、立派だ」と誰からも言われる行動。などの例で解ってもらえると投稿者:加藤は思います。日津久の民とは=スメラの民=真の日本人のことを指しています。世間が「さすが」と評価することはよいことです。しかし、あくまで世間の評価で、本人自身が「自己判断」や「自己評価」するものでは決してあってはならないと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。