第一一巻 松の巻 第六帖 (R7.5.27)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第六帖です、お読み下さい。
第一一巻 松の巻
第六帖 (二九七)
今の世に出てゐる守護神、悪神を天の神と思ってゐるからなかなか改心むつかしいぞ。今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合はん、残念が出来るぞ。この神示わからんうちから、わかりておらんと、分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。地の規則天の規則となる事もあるのざぞよ。六月二十二日、アメのひつ九のかみふで。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 255頁 より)
価格:8800円 |
本帖の書き出し「今の世に出てゐる守護神、悪神を天の神と思ってゐるからなかなか改心むつかしいぞ」は、非常に大切な文章だと投稿者:加藤は感じます。本当の役割は、地上界の我々人間を守護する務めの「守護神」が堕落してしまっていることを、我々に伝える文章になります。「今の世」と書かれていますが、当然この神示が降ろされた時が「今の世」ですが、平成七年現在では、もっと悪くなっていると考えてよいと投稿者:加藤は思います。日月神示では「守護神の堕落」を伝える文章が多く書かれていますが、代表的な文章を一ッ書き出して置きます。日月神示 第九巻 キの巻 第十三帖「自分の物と思ふのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄天の賊ぞ」ここではハッキリと守護神のことを「天の賊」だと言い切っています。では何故に「守護神」が天の賊にまで堕ち果てたのかですが、それは我々に原因があり、岩戸閉めにより神の光が射し込まなくなった人間達が堕落し「体主霊従、我れ善し」となったため、守護神が人間を守護対象と出来なくなったための堕落だと投稿者:加藤は思います。先ずはじめに、「神の光が射し込まなくなったから、我々は体主霊従、我れ善しに堕落したのだ」などという言い訳は通じません。岩戸が閉まっている現在だからこそ、身魂磨きに励み、霊主体従、神人一体となっていなければならないのだと投稿者:加藤は思います。
「今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合はん」と続きます。これは我々人間が「改心」することが守護神の「改心」につながるという意味で読み取ることが必要だと投稿者:加藤は強く思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。