第一一巻 松の巻 第五帖 (R7.5.26)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第五帖です、お読み下さい。

第一一巻 松の巻

第五帖 (二九六)

 この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金 (かね) の草鞋 (わらじ) で捜 (さが) しても九九 (ここ) より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。神の国の政治は、もの活す政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云ふ時来るぞ。石もの云ふ時来るぞ。六月二十一日、アメのひつ九のかみ神示。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 255頁 より)

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 さて日月神示の上巻も終盤に近づき、過去に降ろされた内容を理解していないで読むと、大切な伝えを取りこぼしてしまいかねない文章が出てきています。皆さまの時間がゆるすならば、当ブログを過去の投稿から、もう一度眺めてみて下さい。本帖の鍵となる文章は、書き出しの「この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金 (かね) の草鞋 (わらじ) で捜 (さが) しても九九 (ここ) より他分からんのざから」となると投稿者:加藤は思いますが、特に大切な部分は「九九 (ここ) より他分からん」となると思いますけども、文章の順番通りにみていきましょう。「世界中金 (かね) の草鞋 (わらじ) で捜 (さが) しても」と「この先どうしたらよいか」とは、体主霊従、我れ善しの身魂のままでは、巨万の富を積んでも「この先どうしたらよいか」の解答を得ることは出来ないという意味で、ここには人間の「智」や「学」の限界も示されていると投稿者:加藤は思います。本巻の第二帖に「わからん臣民」、さらに本巻の第四帖に「誠 (口先で) 申す臣民」のことが書かれていました。この何も考えない人間や、分かったツモリの人間が一番厄介です。このことを前置きに「九九 (ここ) より他分からん」と続きます。「ここ」とは日月神示のことを指していますので、「ここ (日月神示) に全ての答えが書かれている」という意味だと投稿者:加藤は思います。日月神示 第二巻 下 (四百) つ巻 第二十三帖に「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九 (こ) の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除しててんし様に奉らなならん御役ぞ」と書いてありました。「最後のことは九 (こ) の神でないと分らんぞ」と「この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから」とは、国常立大神が御自身の役割を明言して、「九九 (ここ) より他分からん」の真意である「最後のことは九 (こ) の神でないと分らんぞ」につながります。身魂磨きが進み、神人一体になれた身魂には、国常立大神の真意が理解できるようになるのでしょう。ちなみに「世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど」の部分は、重要な箇所で、過去の投稿でも書いていますが、宗教を信じては駄目 (少々語弊があると思いますが…) だということの意味です。まだ投稿していませんが日月神示 第十五巻 岩 (一八) の巻 第一帖「釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ」と日月神示 第廿二巻 青葉 (ア火バ) の巻 第二十一帖「今迄の教会も元はよいのであるぞ、いづれも取次役員がワヤにいたしたのぢゃ、神の心からはなれて人間心となったからぢゃ」とそれぞれ書かれています。当ブログをご愛顧くださる皆さまには、難しい内容ではないと思います。投稿者:加藤が何度か当ブログで書いている、教祖は本者かもしれないが、取り巻きや代替わりした代表者は、全て金の亡者でしかなく、神や仏ではなく「悪魔」以外の何者でもありません。何故宗教が堕落するのかは、過去の投稿で書いていますので、そちらを読んでみて下さい。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。