第一一巻 松の巻 第四帖 (R7.5.25)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第四帖です、お読み下さい。

第一一巻 松の巻

第四帖 (二九五)

 幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民沢山は要らんぞ。何もかも神が仕組みてゐるのざから人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。六月二十日、アメのひつ九のかミ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 254頁 より)

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 本帖の書き出し「幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから」とは、体主霊従の我れ善し状態である人間が神示を読み、口先で「誠」を語り主張しても、咽喉につかえて、肚には決して落ちない。という意味だと投稿者:加藤は思います。言葉を変えていうならば、どれだけ神示を読んでも「身魂磨き」が進められない人間には「誠」を理解することは出来ない。ということになります。

 「誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民沢山は要らんぞ」の部分ですが、これは岡本天明達に向けた言葉で、岡本天明達にしてみれば、もっと沢山の同志が集まると思っていたのだと投稿者:加藤は思います、しかしそうではなかったのでしょう (岡本天明達の思いとは違った) 、ですが神示ではここで「量より質」だと伝えていますし「御用は臣民沢山は要らん」ともシッカリ書かれています。また「何もかも神が仕組みてゐるのざから人民仕様とて何も出来はせんぞ」と書かれています。人間の「智」や「学」が中心と思っている人間を「質より量」で集めても、邪魔になるだけだということが書かれているのだと投稿者:加藤は思います。本巻の第二帖にも書かれていましたが、「邪魔せん様に、分らん臣民見物して御座れ」ということなのでしょう。

 少しでも神仕組が解るようになるためには、身魂磨きに励しか方法は無いと投稿者:加藤は考えています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。