第一一巻 松の巻 第三帖 (R7.5.21)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第三帖です、お読み下さい。
第一一巻 松の巻
第三帖 (二九四)
神烈しく、人民静かにせよ。云ふた事必ず行はねばならんぞ。天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心獣ぞ。神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。六月十九日、あめのひつ九のかみ。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 254頁 より)
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本帖の書き出しは「神烈しく、人民静かにせよ」です。先ずは「神烈しく」から考察してみましょう。日月神示 第七巻 日の出の巻 第十六帖に「悪の衣 (ころも) 着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦 (ようしや) は無いのざぞ」と書かれていました。この神示が降ろされた時は昭和二十年の節分です。この時から大東亜戦争の戦火は激しさを増し、硫黄島守備隊の玉砕に続き、沖縄も米軍に占領され、日本本土への防衛の盾を完全に失います。そして空から米軍機の無差別「本土大空襲」が頻繁に行われ、広島・長崎に二発の原爆が投下炸裂し、更にはソ連が参戦する流れになります。これが本帖に書かれた「神烈しく」の意味だと考えられます。次に「人民静かにせよ」ですが、これは前回の投稿で書いた「邪魔せん様に、分らん臣民見物して御座れ」に通じると考えられます。この内容、一般的に戦争の被害などが神仕組とは考えられないのですが、神仕組が我々に理解できると思うこと自体が無理というものです。言葉を変えるならば、神の行う「岩戸開き」は我々の理解の上のまた上の考えだということだと投稿者:加藤は思います。
「云ふた事必ず行はねばならんぞ」とは、岡本天明達に向けた言葉で、神業のことです。本帖が降ろされた時点で、未達成の神業と、終了日を下記に記して置きます。
◎ カイ「奥山」の御用 (昭和二十年七月十二日)
◎ 「奥山、祖霊社」奉斎 (昭和二十年六月二十八日)
◎ 「奥山、天津日詞皇尊大神等」奉斎 (昭和二十年八月八日)
上記は全て「戦時中の神業」で、終戦の岩戸開きのためには、終戦をむかえる前に行わなければならなかった神業だったのだろうと投稿者:加藤は思います。
「旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ」の部分ですが、日月神示 第七巻 日の出の巻 第四帖に「旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ」と書かれていました。この文中に「幾らでもあるぞ」とハッキリと書かれています。ですので、日月神示に日付が書かれていても、それが何時の日付なのかは、ハッキリしません。しかし、この問題も日月神示をしっかりと音読し、身魂磨きを怠らなければ「解ってくる」のだと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。