第一一巻 松の巻 第二帖 (R7.5.20)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第一一巻 松の巻 第二帖です、お読み下さい。
第一一巻 松の巻
第二帖 (二九三)
神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民三分むつかしいぞ。三分と思へども、二分であるぞ。邪魔せん様に、分らん臣民見物して御座れ。ここまで知らして眼覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。* 雀ちうちう烏かうかう。六月十八日、あめのひつ九か三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 253頁 より)
* 進め血雨血雨、唐子火雨火雨、という文字当てもあり、古代語で読むならば「ちう=力が生まれる」で「かう=大いなる始まり」。
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本帖の鍵となる部分は、書き出しの「神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民三分むつかしいぞ。三分と思へども、二分であるぞ」だと投稿者:加藤は思います。文章的には皆さまが読んで理解できる日本語そのままなのですが、大切な部分ですので、日本語の説明が必要だと思います。説明が前後しますが、文中に「三分」と「二分」という言葉が出てきます。日本語は難しいと、日本語を学習する外国人がいうのは、この辺のことだと思いますが、この三分と二分には二ッの意味があります。一ッは30%と20%で、もう一ッは3%と2%です。〇割〇分〇厘との表記単位でいうならば、3%と2%ということになります。日本語に「腹八分目、医者要らず」という言葉がありますが、この表記単位でいうならば、30%と20%です。では本帖で書かれた、三分と二分はどちらなのかということですが、日月神示の他の帖を読むと、「自分の物と思ふのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄天の賊ぞ」日月神示 第九巻 キの巻 第十三帖に「九分九厘」という表記単位が出てきます。九分九厘とは99.9%という意味で使われる言葉ですので、日月神示で「分」とは30%と20%だろうと投稿者:加藤は理解しています。文章の始めに戻り「神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ」の穢れですが、穢れているのは我々臣民であることを理解しなければ、意味が取れません。体主霊従、我れ善しの人々のことを「穢れ」と表現しているのだと投稿者:加藤は思います。ですので「臣民無くなるぞ。残る臣民三分むつかしいぞ。三分と思へども、二分であるぞ」との文章につながるのです。
「邪魔せん様に、分らん臣民見物して御座れ。ここまで知らして眼覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ」ですが、日月神示を読んでも「理解出来ない」人々は「邪魔をするな」との厳しい言葉です。前回の投稿で書いた「節分」や「正月」に知らず知らずに「邪魔」をしている人が多いことに、先ずは気付かなければならないと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。