第十巻 水の巻 第十六帖 (R7.5.14)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第十巻 水の巻 第十六帖です、お読み下さい。

第一〇巻 水の巻

第十六帖 (二九〇)

 まだまだ御苦労あるぞ。たまの宮つくりてよいぞ。われの事言はれて腹のたつ様な小さい心では、今度の御用出来はせんのざぞ。心大きく持てと申してあろがな。六月二十日、ひつ九のかみ。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 249頁ー250頁 より)

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 本帖は岡本天明達に宛てた内容で、岡本天明達の行った神業の足跡を理解していないと、サッパリ意味が通じない帖となると投稿者:加藤は思います。

 「まだまだ御苦労あるぞ」とは、これ以降も神業は続くことを意味しています。「たまの宮つくりてよいぞ」とは、神が岡本天明達に「奥山」に「祖霊社 (みたまやしろ) 」を祀ってよいと、許可を出した言葉です。この許可に基づき岡本天明達は、六月二十八日に、「奥山」に「祖霊社 (みたまやしろ) 」を奉斎しています。祖霊社とは、神道形式による、先祖霊を祀る「お宮」または「社 (やしろ) 」のことです。

 「われの事言はれて腹のたつ様な小さい心では、今度の御用出来はせんのざぞ。心大きく持てと申してあろがな」ですが、時代背景的に終戦間近で、岡本天明達の活動に批判や非難があったことは、想像出来ます。「今度の御用」とは七月十二日カイ「奥山」開きのことで、大東亜戦争中最後の御用は、八月八日の「てんし様 (天津日月皇大神) 」奉斎へ続きます。このように、戦時中にも拘らずに、岡本天明達の御用=神業は目まぐるしく行われたのです。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。