第十巻 水の巻 第十四帖 (R7.5.12)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第十巻 水の巻 第十四帖です、お読み下さい。

第一〇巻 水の巻

第十四帖 (二八八)

 今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思い違ふ臣民沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界 (がいこく) へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界 (がいこく) 行とならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方化 (ば) けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから。今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様三日此の世をかまひなさらぬとこの世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。旧五月五日、みづのひつ九か三。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 248頁ー249頁 より)

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 今回の投稿は順番でいくと、日月神示 第十巻 水の巻 第十三帖になるのですが、この第十三帖は過去に投稿済み (R5.8.8) ですので、今回の投稿は第十四帖へ飛びます。

 本帖は言葉的に難しいとは思いませんが、なかなかに深い内容だと投稿者:加藤は思います。書き出しの「今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ」ですが、この「闇の世はもうすみたぞ」とは当然ですが地上界のことではありません。神界もしくは幽界では闇の世が済んだと言っているのです。ですので、地上界では未だ闇の世の真っ只中だということです。「思い違ふ臣民沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ」と書かれています。この部分は深い内容だと投稿者:加藤は思いますが、深掘りすると止まらなくなるので、アッサリと解釈すると、日月神示で何度も何度も書かれている「身魂磨き」を早くさっぱり心入れ換えて行いなさいという意味です。「神の子でないと神の国には住めんことになるぞ」キリスト教みたいな言葉ですが、これは、心入れ換えられない臣民が行き着く先が、後に書かれている「外国」「幽界 (がいこく) 」で、外国とは地上界のガイコクを指し、幽界 (がいこく) とは、人間の想念が生み出した、地獄的な「あの世」のガイコクを指します。つまり、心入れ換えられない臣民は、生きている時点でもガイコク人、死んだ後もガイコク人となり、決して「ミロクの世」には入れないという意味です。

 話は脱線しますが、ミロクの世とはどんな世界なのでしょうか?「神人一体」とは「自他一体」という意識がはじめの一歩だと投稿者:加藤は思います。つまり、私有財産という観念も概念もないということです。働く (生きる) とは自分のためではなく、皆 (全体) のためだという気持ち (意識) であることだと投稿者:加藤は思います。働いて得たものは一度、主人の下に集められ、主人がそれらを「公平中立」に分配する。皆さまは、この考え方は「理想論」で不可能と思いますか?投稿者:加藤は不可能だとは思いません。古く「縄文時代」はこれらの行為が、なんの疑いもなく行われていたと思われます。二千年以上にわたり、争いの形跡がなく、文字らしきものも発見されていません。投稿者:加藤の考えでは、縄文人は五次元世界に生きた人々だと考えています。五次元世界の住民ですから、言葉を必要としません、思考が直接相手に伝わるので、必然的に悪い考え (行い) は出てきません。解りやすくいうと、会話は「テレパシー」で行っていたということです。弥生時代に入り、私有財産という観念や概念を持つ民が現れ、縄文人は弥生人に飲み込まれます。これがディセンションの始まりで、現在に至ると投稿者:加藤は考えています。このディセンションの後でも、日本国に残った希望は「マコトの侍魂」と「マコトの大和撫子魂」が消滅しなかったことだと投稿者:加藤は思います。ですので、アセンションにより、縄文時代的な生き方に遡ることが出来れば、「理想論」ではなく、「公平中立」な「自他一体」の考え方ができるようになり、「神人一体」の「ミロクの世」へ入れるのだと投稿者:加藤は信じています。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。