第十巻 水の巻 第七帖 (R7.4.30)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第十巻 水の巻 第七帖です、お読み下さい。
第一〇巻 水の巻
第七帖 (二八一)
皆病気になりてゐること分らぬか。一二三のりとで直してやれよ。神示読みて直してやれよ。自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ。この宮、仮であるぞ。真中に富士の山つくり、そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。拝殿つくり呉れよ。神示書かす所作りてくれよ。天明弥澄む所作りて呉れよ。いづれも仮でよいぞ。早ようなされよ。松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ。五月四日、みづのひつ九のか三。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 242頁−243頁 より)
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価格:8800円 |
本帖の鍵となる単語は「病」です。書き出しの「皆病気になりてゐること分らぬか。一二三のりとで直してやれよ。神示読みて直してやれよ。自分でも分らぬ病になってゐるぞ、早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ」から解釈していきましょう。では「自分でも分らぬ病」とは何んなんでしょう。この病は、われわれ人間がいう病 (ウィールス等による) ものではありません。この病は、神の焦点で見ないと理解できない病です。あまり遠回しな言い方もよくないと思いますので、サックと種明かしをすると、この自分でもわからぬ病の原因は「我れ善し、体主霊従」に侵食されていることに起因する病だということです。この病は、自分が病に侵食されていることに気付かないので、人間のほぼ八割以上が、自ら病を治そうともしません。治療するためには「身魂磨き」と「メグリ取り」が必要となるのですが、これには長い長い年月を要します。ですので、この長い時間を少しでも短くするために「一二三祝詞」を宣り「日月神示」を拝読しなさいと伝えているのだと投稿者:加藤は思います。
本帖のそれ以外の文章は、岡本天明に宛てた文章だと思われますので、皆さまが読んで、内容を掴んでもらいたいと思います。
本帖最後の言葉の「松の心にさへなりておれば、何事もすくすく行くぞ」ですが、「松の心」とは「常緑の松」に掛けた言葉と思われます。要するに「変わらない=不動心=信念」と読み取れますので「神人一体」「霊主体従」の心=松の心になれば、何事も神の意思 (導き) で、円滑に進んでいくという意味だと投稿者:加藤は思います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。