第十巻 水の巻 第一帖 (R7.4.22)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第十巻 水の巻 第一帖です、お読み下さい。
第一〇巻 水の巻
第一帖 (二七五)
三⦿ (みず) の巻書き知らすぞ。見渡す限り雲もなく富士は晴れたり、日本晴れ、海は晴れたり、日本晴れ、港港に日の丸の旗飜る神の国。それ迄に云ふに云はれんことあるなれど、頑張りて下されよ。道も無くなるぞ。てん詞様おろがみてくれよ。てん詞様は神と申して知らしてあろがな、まだ分らんか、地 (くに) の神大切せよと聞かしてあろが、神様にお燈明ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明 (あかし) と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿祭りて呉れよ。まつはらねば力現はれぬぞ、守護神殿は柏手四つ打ちておろがめよ、元の生神様にほ水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力 (ちから) 出ぬのざぞ、わかりたか、雲りなく空は晴れたり。旧三月十日、三のひつ九⦿。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 237頁 より)
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価格:8800円 |
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今回の投稿から、日月神示 第十巻 水の巻に突入します。先ず、日月神示の各帖には、神示を降ろされた「御神名」が記されていますが、本帖ではじめて「三のひつ九⦿= (水のひつくの神) 」と示されています。また帖の書き出しも「三⦿ (みず) の巻書き知らすぞ」と書かれていて、本帖の内容も「水」が主題になっています。「地 (くに) の神大切せよと聞かしてあろが、神様にお燈明ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。お燈明 (あかし) と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ぞと申してあろ」「元の生神様にほ水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力 (ちから) 出ぬのざぞ」と書かれているように、「火」を重視して、「水」を軽んじて来た背景があるのだと投稿者:加藤は思います。神話では天津神=伊勢系が、国津神=出雲系から、「国を譲り受けた」ことになっています。しかし実際は力で屈服させて、従えたというのが事実でしょう。ここで「天=火=日」のほうが「地=水=月」より上位であるという上下の構図ができてしまいました。本来は「火」は縦に通じ、「水」は横に通じ、縦と横が十字に結び、一体とならなければならなかったのです。これが、神国日本の統治が不完全だった根本的な原因だと投稿者:加藤は思います。
余談になりますが、自宅に神棚を祀っている方で、蝋燭に「火」を灯す方は、決して「水」を忘れないでいただきたいと投稿者:加藤は願います。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。