第九巻 キの巻 第十七帖 (R7.4.21)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第九巻 キの巻 第十七帖です、お読み下さい。

第九巻 キの巻

第十七帖 (二七四)

 すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ、今の仕事五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、其の御用すみたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。身魂 (みたま) 相当の御用致してゐるのざぞ、仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ、その上で人に此の道伝へてやれよ、無理するでないぞ。我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、「御みいづ」にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三 (ひふみ) となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ、よむと神示出るぞ、此の巻は「キの巻」と申せよ。富士は晴れたり *1 記号 (せかい) ばれ、岩戸あけたり *1 記号ばれぞ。三月二十日、ひつ九の神。

(キの巻了)

*1 丸の中に十字の記号。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 232頁−233頁 より)

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 本帖は日月神示 第九巻 キの巻の最終帖となります。次回の投稿からは日月神示 第十巻 水の巻へ突入です。日月神示の一巻から十二巻を第一部とか、基本十二巻といい、過去の投稿で、この基本十二巻を優先させて投稿していき、カテゴリー「探求小屋」の方を当分の間、投稿を減らしますと、ご案内しました。日月神示は、基本十二巻で終わるわけではなく、その後の巻 (第二部等) へも続きますが、基本十二巻は残すところ、十巻、十一巻、十二巻となりました、基本十二巻の投稿が終わりましたら、また探求小屋の方にも力を入れて行きますので、引き続き宜敷く御願い致します。

 「すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ」と書き出されています。この言葉は、我々が勝手に解ったと思うと大変なことになる文章だと投稿者:加藤は考えます。では「コネ廻し」とは何かと考えると、戦争や自然災害を考えると解りやすいと思います。ここで「勝手に解った」と思うことの危険性を考えてもらいたいと投稿者:加藤は思います。この「コネ廻し」には、善も悪もないということです。人間の勝手な思い込みで、地獄に堕ちる (コネ廻される等) とかは、悪だけだとの思い込みですが、神の考えの中では、人間のいう善も悪もないのだと投稿者:加藤は思います。一ッの例外も (善も悪も) なく、メグリ取りをさせられるということだと投稿者:加藤は思います。もう少し突っ込んで話すと、体主霊従の人々は、自分だけは逃れようとするので、「我れ善し」だということで、霊主体従の人々は、なんの疑問もなく、メグリとりを「 (喜んで) 受け入れる」のだと思います。

 「今の仕事五人分も十人分も精出せと申してあろがな」「仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ」「その上で人に此の道伝へてやれよ、無理するでないぞ」の部分ですが、先ず前置きとして、当ブログで何度も書いていますが、日月神示は宗教ではないということを頭に置いて下さい。そこで上記の三ッの文章を説明するのに、宗教を例にさせてもらいます。マァどの宗教団体でもよい (どれでも同じ) のですが、神理だと思えるものに巡り会うと、その神理にしがみつき、その神理を熱心に学ぼうとします。熱心に学べば学ぶほど、自分の持つ有限の時間が足りなくなります。そこで「仕事の時間」「仕事の質」を犠牲に時間を捻出しだします。そして自分の信仰を、他人様への「小さな親切、大きなお世話」で宣伝・伝道まではじめます。これでは本来の仕事をする時間など無くなります。これが「信仰の弊害」といわれるものです。日月神示が宗教ではない、ということがわかったと思います。先ず自分の仕事が優先で、その後に人にその道を伝えて下さい、しかし「無理はしないでネ!」が日月神示の伝えていることです。宗教が優先などという宗教は、決して人を導けません。救いを求める人は多いと思います。しかし自分を救えるのは宗教ではなく、自分自身だと投稿者:加藤は思います。我々の魂は、元の「元=キ」からの分けられた魂ですので、霊主体従の状態になれば、我々が「神」なのです。神人一体となれば、宗教など何の意味もありません。投稿者:加藤が興味を惹かれるのは、宗教ではなく、宗教の聖典 (聖書や仏典) であり、仏教の坊主や、キリスト教の神父や牧師ではありません。霊主体従の人々が残した言葉には興味が尽きません。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。