第九巻 キの巻 第十二帖 (R7.4.13)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第九巻 キの巻 第十二帖です、お読み下さい。
第九巻 キの巻
第十二帖 (二六九)
みぐるしき霊 (たま) にはみぐるしきもの写るぞ、それが病の元ぞ、みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ。神のためしもあるなれど、所々にみせしめしてあるぞ、早う改心して呉れよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ、鎮魂 (ミタマシズメ) には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、五十回、七十回で始めはよいぞ、それで判らぬ様なればお出直しで御座る。三月十五日、ひつぐの神。
(太陽出版 新版 ひふみ神示 229頁 より)
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価格:8800円 |
本帖の内容を説明すると、禅問答的な話になるかと思いますが、おつきあいして下さい。「みぐるしき霊 (たま) にはみぐるしきもの写るぞ、それが病の元ぞ、みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ」の書き出し部分ですが、みぐるしき霊 (たま) とは、悪の身魂 (悪しき臣民) のことで、みぐるしきものとは、邪霊や低級動物霊のことで、写るとは、憑依されるということです。ですので「悪の身魂には邪霊が憑依するぞ、それが病気の元だぞ」という意味だと投稿者:加藤は思います。みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞも、先の話の逆説で、「逆もまた真」ということです。さて、病を引き寄せるのは自身の「見苦しい霊」ということなのですが、心が未だ純白の子供が、病の床に伏せっているのを如何に説明するのか?と聞こえてきそうです。ここから禅問答的な話になりますが、メグリ (カルマ) とは因果応報だとは、皆さまも理解していると思います。しかし、この因果応報は個人の問題ではないと投稿者:加藤は考えています。少々ゲスな話を例に出しますが、相続という言葉を知っていると思います。簡単には親の残した財産を、子が受け継ぐことです。ここでチョットした例題です。親が帰幽 (他界) して、現金を五百万円と借金を九百万円残しました、子は親の財産の相続を放棄しなければ四百万円の赤字となります。相続とは、欲しいものだけ受け取り、要らないものは放棄するとはいかないのです、全部受け取るか、全部放棄するかしかないのです。ですが、相続は人間界の決まりですので、神の決まりはメグリを放棄するとはいきません。ですので、縁の深い者 (時に親兄弟、配偶者や実子など) のメグリは、無条件で引き継いでいます。日月神示で、メグリの解消を、借銭を返すと表現されてるのは、そういうことなのです。ですので「それで早う洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ」ということになるのです。これはメグリ (借銭) を、自分の代で終わらせる (縁のある人のメグリも受け止めて) ということなのです。例にあげた純白の心を持つ子供も、その身魂をもって、何らかの (誰かしらの) メグリを解消しなければならないということです。
「三回、五回、七回、三十回、五十回、七十回で始めはよいぞ」の部分ですが、この数字は基本律 (基本の単位) です。「一二三祝詞」の宣り方は、ひふみ (三) よいむなや (五) こともちろらね (七) とカッコの部分で一拍づついれますので、言霊は、三、五、七となります。これは一二三祝詞の全文にいえる宣り方となります。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。