第九巻 キの巻 第十一帖 (R7.4.9)
皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第九巻 キの巻 第十一帖です、お読み下さい。
第九巻 キの巻
第十一帖 (二六八)
一二三 (ひふみ) とは限りなき神の弥栄であるぞ、一 (ひ) は始めなき始めであるぞ、ケは終わりなき終わりであるぞ、神の能 (はたらき) が一二三であるぞ、始めなく終なく弥栄の中今 (なかいま) ぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食 (お) せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、記号 *1 であるぞ、記号 *2 であるぞ。皆の者に一二三唱へさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連 (いつら) ぞ、意露波 (いろは) ぞ、判りたか。三月十四日、ひつ九ノか三。
*1 @の巻数の、時計回りの渦巻き
*2 中心から時計回りの渦巻き
(太陽出版 新版 ひふみ神示 228頁 より)
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価格:8800円 |
本帖の内容は「一二三」に付いて書かれていますが、マァ読んで「良く解りました」という人はいないと投稿者:加藤は思います。抽象的すぎて「何ですか?」と思うのが正直なところでしょう。先ず鍵となる部分は「神の能 (はたらき) が一二三であるぞ、始めなく終なく弥栄の中今 (なかいま) ぞ。一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食 (お) せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ」 (ほとんど全文なのですが…) を探求してみましょう。一二三とは神の能 (はたらき) だと書かれていて、祓ひ清めだとも書かれています、そして一二三唱えて岩戸開けると。最終的な目的は「岩戸開き」で「一二三唱えて、とけよ、息せよ、着よ、食 (お) せよ」となるのですが、仏教的 (キリスト教的? ) な伝え方をするならば「一二三と共にあれ」ということでしょう。
因みに、一、二、三、ケ、レ、ホ、五十連の古代語の意味を下記に記しておきます。
一:始め
二:増える
三:満ちる
ケ:世を形作る
レ:分ける
ホ:穂、実を結ぶ
五十連:一人を中心に皆が力を合わせる
「一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ」の説明を少々すると、「ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ」を逆にすると、気付く方もいるかも知れません「ホであるぞ、レであるぞ、ケであるぞ」です。「ホレケ」もう分りましたよネ!「一二三祝詞」の最後の文章です。
最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。