第九巻 キの巻 第十帖 (R7.4.8)

 皆さま御機嫌いかがでしょうか、投稿者:加藤です。今回のお題は、日月神示 第九巻 キの巻 第十帖です、お読み下さい。

第九巻 キの巻

第十帖 (二六七)

 山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど一日延 (のば) せば千日練 (ねり) 直さなならんから神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒 (らち) あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主坊主くさくてはならんぞ。三月十三日、一二⦿。

(太陽出版 新版 ひふみ神示 227頁ー228頁 より)

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 「山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ」と書き出されています。この文章の受け取り方は、人それぞれだと思いますが、投稿者:加藤にはかなりキツイ言葉に受け取れます。「曇りた所へ火の雨降るぞ」とは大東亜戦争の末期に日本全土を襲った「大空襲」であることは間違えないでしょう。「臣民自分でするのざぞ」とは、この惨劇を招いたのは「臣民自身」だといっています。ここで投稿者:加藤がアレコレ説明する必要もないと思いますが、大きな災難を、小さな災難で切り抜けることは、臣民の多くが身魂磨けていれば、出来たことだと思います。そのことは、次の文章でも理解できると思います「一日一日のばして改心さすやうに致したなれど一日延 (のば) せば千日練 (ねり) 直さなならんから神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒 (らち) あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな」ということです。

 本帖には上記で説明した、災難の原因も書かれています。「日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ」と書かれている所です。当ブログをご愛顧くださる皆さまには説明の必要はないと思いますが、「来られんもの」とは臣民が悪神の仕組に堕ちて「我れ善し、体主霊従」の性来になったことが原因だと書かれています。

 「三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ」とは臣民の身魂磨きが進まないのならば、その分だけ幾らでも昔 (元) に遡り、やり直しをさせるという意味だと投稿者:加藤は理解しています。また「家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが」の部分は、陰と陽の和合が元で、陰と陽の和合が不可欠だと書かれていのだと投稿者:加藤は思います。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。